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社説・コラム

『潮流』 「12月8日」と原爆投下

 「記憶せよ、十二月八日。この日世界の歴史あらたまる」。英米との開戦に突入した1941年のその日、詩人高村光太郎は「神の国」の進撃を高らかにうたった。新聞・ラジオも華々しく戦果を報じ、国民もわいた。

 結果は知られた通りである。アジア全域で2千万人を超す犠牲を強い、原爆投下で終結した。甚大な被害の責任はどこにあるのか。償いと真の和解はなされたと言えるだろうか。

 今に続く被爆の問題が、日本があの戦争にどう向き合っているのかを映す。

 戦後50年を控えた94年に成立した被爆者援護法前文に国の姿勢がみてとれる。「死没者の尊い犠牲を銘記する」としたが、国の戦争責任や国家補償は認めなかった。

 そこには敗戦直後の総懺悔(ざんげ)論以来、歴代政府にうち続く「国民受忍論」がある。戦争被害は「国民が等しく受けとめなくては」とする。原爆死没者への弔慰金をめぐっては「一般戦災者との不均衡があっては国民的合意が得がたい」との姿勢をとる。

 戦後生まれが大半となった被爆地も、この受忍論にとらわれていないだろうか。

 NHK放送文化研究所が昨年行った「原爆意識調査」。広島での回答は、原爆投下を「いまでも許せない」とするのが48%、「やむを得なかった」が42%に上った。

 広島市長と県知事はそれぞれ、原爆投下への謝罪表明にはこだわらず、米大統領の訪問を求めていく考えを示した。まず被爆の実態に触れてほしいとの考えだろう。過去と未来への認識をアジアとも共有する。そんな呼び掛けに連なっていくなら幸いである。

(2011年12月2日朝刊掲載)

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