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社説・コラム

コラム 視点「緑の遺産ヒロシマ」反核・平和メッセージ発信に大きな可能性

■センター長 田城 明 

「帰国後、私たちに何ができますか」―ユニタール広島事務所の研修プログラムに参加した上級公務員ら各国の研修員から、ナスリーン・アジミさんが何度も聞いた問い掛けである。

 研修の一環で訪れる広島平和記念公園や原爆資料館。被爆者の体験にも耳を傾ける。初めてヒロシマに接した彼らは、廃虚から復興した水と緑あふれる街並みや、不戦と核兵器廃絶を求める被爆者らの取り組みに大きな感動を受けるという。

 そんな彼らにアジミさんは「一人一人がヒロシマの大使として活躍してほしい」と答えてきた。「でも、そのための具体的な取り組みについて提案したわけではありません」。帰国後、研修員たちが仕事や日常の暮らしの中で、広島で学び、感じたことをどう生かしているだろうか…。彼女の中でこんな思いが消えることはなかった。

 軍都から平和都市建設へ―。戦争、原爆体験を教訓に歩んだ戦後復興への道。「その理念と歩みには、世界が学ぶべき多くの価値が宿る」とアジミさん。しかし、それが十分伝わっていない。国際公務員として世界を回り、多くの人々と出会っての彼女の率直な思いである。

 ユニタール広島事務所長を1年半前に辞め現場を離れてもなお広島に滞在する理由は? 「ヒロシマを世界に伝えるために、自分にはまだやり残していることがあるように思えて…」。やり残した宿題への彼女なりの答えが、「緑の遺産ヒロシマ」の取り組みである。

 被爆樹木の種子や苗を海外に送るというユニークなこの事業には、広島を世界の幾つもの都市や学校、教会、寺院、植物公園、国際機関、NGOなどと結び付ける可能性を秘めている。送る側も受ける側も、それほどコストはかからない。利害や政治が絡まないので、相手に不安や緊張を与えることもない。環境に優しく、平和的な方法で、「核なき世界」を希求するヒロシマのメッセージを伝えることができるだろう。種や苗を育てるという地道な取り組みを通じて、長期にわたって相手とのつながりができるのも強みである。

 原爆で廃虚と化した直後の広島では、人々の間に「75年間は草木も生えないだろう」といったうわささえ広まった。しかし、しばらくして雑草が生え、焦土に焼け残った被爆樹木からもやがて新しい芽が吹き出した。植物たちが示す生命力の強さに、どれほど多くの被爆者が勇気づけられたことだろう。

 1950年代に広島市が平和公園や平和大通りの植樹をしたとき、市の呼び掛けに応えて日本国内はもとより、世界から何千もの苗や種が提供された。現在の広島市街地の緑化は、国内外のこうした善意によって支えられてきたのだ。広島の復興にとって、忘れてはならない大切な歴史の一部である。

 こうした歴史を有する被爆地から今度は、世界へ被爆樹木の「2世」である種子や苗を送ろうという「緑の遺産ヒロシマ」の新たな平和活動。その広がりのために、アジミさんに「私たちに何ができますか」と問い掛けた、世界中で活躍する研修員たちも大いに貢献してくれることだろう。私たち市民も、それぞれの方法で、負けずに支援したいものである。

(2011年12月19日朝刊掲載)

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