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社説・コラム

社説 原発事故 「脱依存」の道どう探る

 「原子力発電は安全」。いつしか神話に取りつかれていたと、つくづく思い知らされた一年だった。

 いかなる事故が起きても原子炉に放射性物質を閉じ込めておける。「5重の壁」と呼ばれる多重防護システムを誇った東京電力福島第1原発が、3月の東日本大震災ではひとたまりもなかった。

 核燃料が溶融し、圧力容器から漏れ出した。建屋が爆発した。放射性物質の一つセシウム137は、広島型の原爆170個分近くの量が飛び散ったとされる。

政府委の提言

 今なお避難生活を余儀なくされている福島県民は9万人近い。うち約6万人は古里福島を離れての年越しになりそうだという。

 いったいなぜ、平穏な日々が根こそぎ奪われたのだろう。原発事故の原因や対応の一部始終をつまびらかにし、再発防止の教訓を引き出さなければなるまい。

 一翼を担う政府の事故調査・検証委員会がきのう、中間報告をまとめた。東電は先ごろ、事故を引き起こした原因は想定外の津波だと結論付けている。政府調査委はこれを「あくまで推定」とし、地震による影響にも含みを残した。

 津波対策の不備を東電は分かっていたが、数百億円かかる経費などから結果的に見て見ぬふりをしてきた。その点も報告書は浮き彫りにしている。「発生確率が低くても『あり得ることは起こり得る』と考えるべきだ」との提言は重い。

 まして安全上重要な機器が揺れで既に傷ついていたとすれば問題だ。全国に54基ある原発全てで耐震基準を一から見直す必要が出てこよう。再稼働どころの話ではない。

 福島の現場では、原子炉が次々と爆発する最悪の事態を覚悟していたという。首都圏3千万人の避難を見込んでいたという菅直人前首相の証言とも符合する。原発を抱える地域はどこも、人ごとではなかろう。

被災者目線で

 野田佳彦首相は就任以来、「福島の再生なくして日本の再生なし」と繰り返してきた。とすれば政府はまず、福島が歩もうとしている道を直視すべきではないか。

 福島県議会は、県内に10基ある原発全ての廃炉を求める請願について9割を超す賛成多数で採択した。県もこれを受け、原発関連の交付金に頼らない復興の方針を打ち出した。

 原子力には依存しないと復興計画に書き込む市や、原発誘致の決議を白紙撤回する町議会も現れている。「安全神話が崩れた」「原発との共生はもうあり得ない」。被災地の多くに共通する心情のようだ。

 福島と日本の再生を口にするなら前政権から引き継いだ「脱原発依存」の旗を振り続けるしかあるまい。

 ところが首相は、ストレステスト(耐性評価)の結果を踏まえて「政治が最終判断する」と繰り返すにとどめてきた。2012年度予算案からも、脱依存の道筋はおろか、明確なメッセージが伝わってこない。

 それどころか、再稼働に前のめりなのではと思わせる動きが目立つ。海外への原発輸出に加え、先日の事故「収束」宣言がそうだ。

 現地では放射性物質を減らす除染活動が緒に就いた。行き場のない汚泥や焼却灰、燃やせない木くずの山は日々、かさを増す。

 「惨事をもたらしたのは国。なのになぜ、収束を宣言するのか」と被災地が反発するのも当然だろう。

 政府はきのう避難区域を放射線量ごとに3区域に再編し直す考え方も示した。現地では「住民を分断する線引きになりかねない」「除染が先」との反応が強いようだ。

危機感を共有

 福島の視点をおろそかにしてはなるまい。それは万が一の場合に被災地になり得るどこの地域にとっても欠かせない心構えであろう。

 島根原発に隣り合いながら「蚊帳の外」だった鳥取県と境港、米子両市は中国電力と安全協定を結んだ。増設時の事前了解など自治体側の要望が盛り込まれなかったものの、住民が危機感を共有する一歩になるはずだ。「脱依存」への確かな歩みにつないでいきたい。

(2011年12月27日朝刊掲載)

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