×

社説・コラム

『潮流』 碑文論争を知っていますか

■平和メディアセンター編集部長 西本雅実

 心ない仕業が新年早々起きた。広島市中区の平和記念公園の原爆慰霊碑に金色の塗料 が吹き付けられた。12日の修復作業で、染みはとりあえず消えた。

 「合点がいかない人もいるだろうが、だからといって許すことはできない」。事件後、松井一実市長が出したコメントは通り一遍ではなかった。碑文をめぐる長い論争を意識したのだろう。

 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」

 原爆慰霊碑は、米軍などの占領統治が明けた年の1952年8月6日に除幕された。市の依頼を受け、英文学者で広島大の雑賀(さいか)忠義教授が碑文を手掛けた。

 「誰が過ちを犯したのだ」。広島であった世界連邦アジア会議に出席したインドの法学者パール博士からの疑義を機に、論争は表面化する。主語は「全人類である」と雑賀教授は応じた。

 しかし当初は、被爆者の間でも違和感を覚える人が多かった。原爆犠牲者の十三回忌を控えた57年夏、中国新聞夕刊の投稿欄で是非が盛んに交わされている。

 寄せられた意見は最終的に、「碑文を改めよ」の割合が「改めなくてよい」の約5倍に上った。

 70年代に入ると、碑文を「正す会」「守る会」ができ、論争は続く。市が文意を英語などでも伝える説明板を設けたのは83年になってからだ。いわく「すべての人びとが」「戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉」と。

 ヒロシマの訴えは一朝一夕にできたわけではない。戦争・原爆をどう考えるのか。碑文は今なお、一人一人に問うている。それを汚す行為は、自らへの問い掛けを放棄することにほかならない。

(2012年1月13日朝刊掲載)

年別アーカイブ