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社説・コラム

『潮流』 今なお道半ばの「40年」

■平和メディアセンター編集部長 西本雅実

 ちょうど40年前の2月。ニクソン大統領が米国首脳として初めて中国を訪れたのを機に日本の対中政策は大きくかじを切り替えた。

 「今太閤」とも呼ばれた田中角栄首相は政権を率いると1972年9月、北京に降り立つ。台湾重視と「反共」を掲げる自民党内の反対派を押し切り、国交正常化の交渉に臨んだ。

 毛沢東主席や周恩来首相と会談し、外交関係の樹立が決まる。5泊6日の訪中は両国間初の衛星中継により日本で放送された。

 山東省の中学校に通っていた王偉彬さん(54)は、日本の首相を受け入れると校庭で聞いたが、映像を見ることはなかった。「まだ貧しくてテレビは学校にもなかった」。自分が日本へ留学するとは思いもよらなかった。

 日本人も、最大の貿易相手が中国となる今日を想像すらしなかっただろう。訪中者は1日当たり1万人を超え、海外で長期滞在の邦人が最多の都市は上海だ。

 ところが、国家レベルとなると米国との間合いが絡み、互いに険しさを増している。

 軍事的な拡大を続ける中国の対外姿勢に、日本は2011年版の防衛白書で「高圧的」と応じた。米国の新国防戦略は中国を「潜在的脅威」と位置付ける。在沖縄海兵隊の一部を岩国基地へという打診案を政府は否定するが、日米同盟を強化する構えは変えない。

 「日中の政治家はよくしようとする意志に欠け、未来への座標軸がない」。広島修道大教授となった王さんは指摘する。

 「平和共存の諸原則の上に恒久的な平和友好関係を確立する」。40年前にうたった日中共同声明の実現は今も大きな課題である。

(2012年2月17日朝刊掲載)

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