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社説・コラム

コラム 視点「核エネルギー依存脱却へ 被爆地市民も新たな取り組み」

■センター長 田城 明

 昨年9月、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが呼び掛け、約6万人が参加した東京での「さようなら原発集会」。2日間で延べ1万人を超す人々が集った今年1月の「脱原発世界会議」(横浜)は、それに次ぐ規模となった。数では比較すべきもないが、地域住民が中心になって開いている中・小規模の脱原発を求める会議や集会は、福島第1原発事故後、全国各地に広がっている。

 被爆地広島でも今月12日に「さよなら原発ヒロシマの会」の発足集会があり、約350人が参加。学者や被爆者、文化人、宗教者ら22人が呼び掛け人に加わった。その一人、詩人のアーサー・ビナードさんは会の名称に触れて言った。「私の思いは『さよなら原発ヒロシマの会』という名前よりも、『ヒロシマの仲間』と表現する方がぴったりする。会なら広島には十分ありますから」

 ビナードさんのこの発言は、原水爆禁止運動の取り組みの中で、運動方針の違いなどから組織間で対立し、核兵器廃絶という目標に向かって必ずしも最大限のエネルギーを結集できなかった被爆地の歩みを踏まえてのものだろう。彼は会の存続のためではなく、「目標達成のために一人一人の自主的な取り組みが大切」と語りかけた。

 原爆による放射線被害を身をもって体験しながら、原発建設にほとんど反対の声を上げてこなかった被爆者らの反省の弁も聞かれた。そのことが「フクシマにつながった」と。

 集会では最後に、被爆地市民の役割を強く意識した、次のような「ヒロシマアピール」が発せられた。

 「原発をなくし、エネルギー政策を変えさせる流れをつくりましょう。そのためには、広島の私たち、核戦争によって人類未曾有の悲惨を経験した被爆地に住む私たちが核兵器廃絶とともに、原発をなくしてこれ以上のヒバクシャを出さない決意を持って声を出し、一歩足を踏み出すことが必要です」

 「地球被曝(ひばく)」とも言われた26年前のチェルノブイリ原発事故。事故後、ドイツなど欧州各地では市民による反原発の動きが強まったが、日本ではそれほど広がらなかった。

 10年余り前にチェルノブイリ原発や核実験場、核兵器関連施設など旧ソ連と米国の深刻な被曝実態を延べ4カ月近くかけて取材。その取材を基に2001年9月から約10カ月にわたり本紙で「21世紀 核時代 負の遺産」と題して特集連載した。最後のまとめで私はこう書いた。「日本も、21世紀の可能な限り早い時期に『脱原発社会』を達成する。そんな目標を立てて緩やかな方向転換をしてゆくことが、今ほど求められているときはない」と。

 だが、こうした訴えなど何の影響力も持ち得ず、以後も原発は増え、政府の政策も変わらなかった。今回のような取り返しのつかない事故が身近に起きなければ、人々の意識も核エネルギー政策も変わらないのか。いや、起こってもなお政府や官僚、電力会社もさほど変化したようにはみえない。日本での新規建設が困難な原子炉メーカーは政府と連携し、ベトナム、ヨルダンなど海外への売り込みに力を注ぐ。かの国のほとんどの人々は、放射能汚染事故の本当の恐ろしさを知らない。

 国内で処理できない使用済み核燃料をモンゴルで貯蔵しようとの計画も浮上している。何万年も安全に保管しなければならない危険な核物質は海外へ―。海洋汚染など福島原発事故で国際社会に迷惑を掛けている被爆国の私たちが、新たなヒバクシャを生み出すような商行為に加担してはなるまい。自然エネルギーの活用など、より安全な技術をもって途上国の発展に貢献すべきだろう。   核兵器廃絶の取り組みを含め、市民の良心と行動力が問われるのはこれからである。

(2012年2月20日朝刊掲載)

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