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社説・コラム

『論』 フクシマ後の倫理 水俣の教訓忘れまい

■論説委員 石丸賢

 甘夏ミカンが待ち遠しい時季になった。産地熊本の援農合宿で、水俣病の元漁師たちが手掛けている甘夏畑を回ったことがある。  山肌を切り開いた畑は傾斜がきつい。水俣病の患者さんは手足がしびれ、作業が思うに任せない。少しでも手間を省きたいはずなのに、なぜか防虫剤や除草剤には頼りたがらなかった。

 「公害被害者の私らが農薬をふって消費者に害をもたらしでもしたら、申し訳が立たないから」

 そっくりの言葉が福島の地から聞こえてくる。東京電力の福島第1原発が引き起こした放射能「公害」に巻き込まれた被害者たちだ。

 「もう二度と、私たちのような経験を世界中の皆さんにしてほしくない」。原発を抱え、全町避難を余儀なくされた双葉町の町長も先月、ベルリン国際映画祭で映像を通して訴えかけた。

 民主党政権は何かというと福島を引き合いに出し、あたかも県民の味方か伴走者のような物言いをする。

 それならなぜ、原発輸出の旗を降ろさないのだろう。収束、廃炉の手だてさえおぼつかないまま原子炉を売りつけ、再び災厄を招かない保証はどこにもない。それが原発被曝(ひばく)国の倫理として許されることかどうか。

 問いただすべき野党の声は心もとない。国会ホームページの議事録検索で「原発輸出」「倫理」と打ち込んでみても、引っ掛かるのは沖縄の山内徳信参院議員の討論1件だけ。それさえ、議論は肩透かしにとどまっている。

 原発輸出に限らない。端なくも原発事故が突き付けた矛盾の数々は、社会全体に向き合うことを迫っているように思われる。

 過疎地にリスクを押し付け、実りの電力は大都市圏が吸い取る。それは大なり小なり、列島で動かしてきた54基の原発を取り巻く都市偏重の構図にほかなるまい。

 さらにいえば、原発が並び立つまでの福島県双葉郡は出稼ぎ地帯。かつての知事が県議会で公然と、この地域を見下す答弁をするなど、県内外の視線は冷たかった。

 「原発でいい思いをしたのに被害者面するな」。そんな声が事故後、地元役場に届いていると地元紙の福島民報は報じている。

 双葉郡は今、事故による汚染廃棄物の中間貯蔵施設受け入れを迫られている。「私たち郡民を国民だと思っていますか。法の下に平等ですか」と双葉町長は野田佳彦首相に直談判で迫った。せめてその胸中を共有できないものか。

 「公害が起きて、差別が生まれるのではない。偏見や差別のあるところに公害は起きる」。公害の原点、水俣の重い教訓が胸をよぎる。  「人様は変えられないから自分が変わる」と減農薬などに取り組み、強く生きてきた患者さんたちもいる。水俣市立水俣病資料館は、そうした経験を伝えたいとメッセージを発し続けている。

 日本社会の来し方に、人の道にもとるところはなかったか。東電や政府の責任をただすのと同時に、そういう問い返しも忘れてはなるまい。

 大震災の復興構想会議で哲学者梅原猛さんは「文明災」ととらえる視点を提起し、こう唱えている。「原発を使って生活を豊かにし、便利にしてきた文明が裁かれている。利他的な文明に変わらなければ」と。

 私たちがフクシマの体験から何を学び、暮らしや仕事をどう立て直していくべきなのか。根っこからの議論も深め合いたい。

(2012年3月1日朝刊掲載)

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