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社説・コラム

『言』 「脱原発」の真意は 協同組合の理念 問い直し

◆吉原毅・城南信用金庫理事長

 東京電力のお膝元の都内一円を営業エリアにする城南信用金庫(東京・品川)。昨年4月以降、東電株の売却、3割節電、東電との契約解除など「脱原発」に布石を打ち続ける。吉原毅理事長(57)にその真意を聞いた。(聞き手は論説委員・石丸賢)

 ―「金融機関の則(のり)を超えていないか」という反発もあったと聞きます。
 長年の横並び体質なのか、金融業界は表立たないことをよしとするような風潮がありますからね。私どもの職員にしても当初は、おっかなびっくりだったかもしれません。

 ―それでもあえて踏み込んでいったわけですね。
 福島第1原発に近い信用金庫は営業エリアの半分を放射能汚染で奪われました。地域は原発と共存できない、と私も目が覚め、やむにやまれぬ思いから歩み続けています。三井住友銀行の頭取だった西川善文さんが公開のブログで「英断」とエールをくださったのはうれしかった。それより何より心強いのはお客さまの支えですね。

 ―どういうことですか。
 「いいことをやってくれた。ありがとう」と店舗の窓口で声を掛けてくださる。通りすがりに「城南さん、頑張ってるね」と励ましをいただくこともある。職員も自信が湧いてくるんですね。「やっぱり、間違っていなかったんだ」って。

 ―役職員の間も「脱原発」で一枚岩ですか。
 理念の方向付けさえちゃんとしていれば、めいめいが信念と勇気を持って判断すればいいし、できるはずです。せんだっては、いくつかの支店が市民グループに頼まれた脱原発の署名用紙を窓口に置きましたと、事後報告で私の耳に入りました。

 ―その方向性はどうやって見いだしたのでしょう。
 何が正しくて、何をすべきなのか。その道は、お客さまや地域とのコミュニケーションの中から開けてくる。地域にこそ良識があり、正解があるんです。今回のことであらためて実感しました。それにそもそも、関東と東北は一体ですから。

 ―どういう意味ですか。
 高度成長の時代に集団就職で東北から上野駅へと大勢が上京し、根を下ろしている。取引先の中小企業に東北出身の経営者が多いし、私どもの役職員にもいっぱいいる。原発事故には怒り心頭、人ごとじゃないんです。

 ―もともと原発には批判的だったんですか。
 いいえ。クリーンエネルギーだと思い込んでいた一人です。事故も起きていないし、温暖化防止の対策と認めていたんです。原発批判の主張は冷戦時代のイデオロギーによるものと思い込み、ちゃんと耳を傾けてこなかった。事実に基づいて判断することを避けてしまっていたと、つくづく反省しています。

 ―城南信用金庫にとって「脱原発」の立脚点は何でしょう。
 地域の暮らしや仕事場を守り、地域を幸せにするためです。誤解を恐れずに言えば、信用金庫は銀行とは違う。

 ―銀行と違う、とは。
 銀行は株主の利益のために行動する。それが株式会社としての役割だからです。その点、信用金庫はお金もうけではなく、助け合うための協同組合主義。もともと、銀行の対抗勢力として生みだされた歴史的ないきさつがある。バブルの時も私どもは、株や土地などへの投機的な融資には応じていません。

 ―私も地元の信用金庫の会員ですが、そうした説明を聞いた覚えがありません。
 制度ができれば、全てが片付く訳ではないのです。詰まるところ、魂を吹き込むのは人なんですから。何のために私たちは仕事をやっているのか、理念を日々問い返し、自分たちを律する必要があります。

 ―国連はことしを国際協同組合年と定めていますね。
 新自由主義が、どんな世界をもたらしたか。格差社会もその一つでしょう。お金もうけや効率が最優先という物差しだけでいいのか、という問い掛けでもあろうと受け止めています。良識や倫理を重んじる社会でなければと思うし、大震災でそうした機運が掘り起こされ、広がった気がします。

よしわら・つよし
 1977年に入庫し、2010年11月から現職。東日本大震災の後、福島の信用金庫に就職予定だった計10人を受け入れたのが「原発への疑いを深めた始まり」。節電に取り組む個人向けに1年間無利息のローンや年利1%の預金商品を開発。今年1月には原発を使わない新規参入の電気事業者に購入先を切り替え、今月からは顧客向けに放射線量の測定サービスも始めた。読書家で、原発について考える時のお薦め本は「京都大原子炉実験所の小出裕章助教の著作」という。

(2012年3月7日朝刊掲載)

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