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社説・コラム

『潮流』  原爆ドーム…「実物」の力

■論説委員 金崎由美

 先日、広島を初めて訪れた友人を原爆ドーム(広島市中区)に案内した。

 「一枚撮ろうか」と誘うと、友人は「軽々しく記念写真に納まる気にはなれないよ」とつぶやき、自分でドームにカメラを向けた。被爆の惨禍を刻む「実物」には言葉や時代を超えて人の心を揺さぶる力がある。

 原爆ドームはかつて、風雨にさらされ崩れ落ちる危機にあった。1967年、第1回保存工事の現場責任者を務めた元清水建設社員、二口正次郎さん(安佐南区)は「新築工事の方が簡単。前例がないから試行錯誤の連続だった」と振り返る。91歳。昨日の話のように当時を回想する。

 樹脂製接着剤の注入など崩壊を防ぐ処置を施しつつ、被爆直後の状態を再現しようと努めた。終戦から間もない時期の写真と現状を見比べ、後に崩れた部分にれんがを積み直した。

 実は二口さんの判断で決め、専門家の委員会の方針を守らなかったこともあるという。「むき出しの鉄筋がさび付いていた。これ以上はさびない。磨き落とすと逆効果」。そのままにした。被爆の証人を次世代に引き継ごうとする多くの人たちの気概が、現在のドームを支える。

 保存工事までは「悲惨な体験を思い出す」と撤去論も根強かった。被害の爪痕が残る物や建物が視界に入るだけでも、体験者には残酷だろう。

 それでも、ドームに引きつけられた人たちがここを訪れ、ヒロシマの教訓を各地に持ち帰る。「実物」だけが持つ力は確かにある。市は少なくとも被爆100年の2045年までは、現状のままで保存することを目指している。

 東日本大震災からあすで1年。岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の蘇生は絶望的だが、数十年後の被災地には教訓を末永く伝えるどんな「証人」が残されているのだろうか。

(2012年3月10日朝刊掲載)

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