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社説・コラム

社説 大震災1年 <中> 復興

 東日本大震災の被災地で「4月ショック」がささやかれる。

 大津波や原発事故によって古里を追われた人たちのことだ。地元に戻って生活を再建するめどが立たず、就職や子どもの新学年に合わせて住民票を避難先に移す。そんなケースが一気に出ると予想されている。

 岩手、宮城、福島県の沿岸37市町村の人口は、既に震災前より5万人以上減っている。このまま歯止めがかからないなら、地域は崩壊に追い込まれる―。切実な懸念を、政府はどう受け止めているのだろう。

 あの日から1年。復興の遅れは目を覆うばかりだ。

 あちこちの仮置き場に積まれる震災がれきが象徴だろう。宮城県で通常の19年分、岩手県で11年分の量に達するが、6%しか処理されていない。

 全国の自治体に協力を呼び掛けるものの、受け入れは東京都など一部にとどまる。「これでは復興が前に進まない」と被災地から悲鳴が上がっている。

 政府の復興プランと被災地の実情との落差が、ここにきて目立ってきたといえよう。

 本年度の第3次補正予算までの復旧・復興費は計14兆円余り。景気回復の起爆剤としても、手厚いようにみえる。

 ただ現場となる自治体の事情は違う。膨大な事務作業に追われるなどして、使い道が決まっていてもなかなか執行できない事業がたまっているという。

 国が切り札とする復興交付金への不満も見過ごせない。1兆6千億円を予算化し、もともと「自治体が自由に使える」との触れ込みだった。

 今月は第1回として2500億円を配分したが、自治体側の求めの6割だけ。「自由」どころか、各府省の厳しい査定に直面した格好である。

 被災者とのパイプ役となるよう2月に発足した復興庁が交付金申請の窓口だ。だが手続きが煩雑になっただけ、との声も聞かれる。「復興庁が復興のブレーキ」と、村井嘉浩宮城県知事から批判される始末である。

 高台などへの集団移転も手つかずだ。国が全額負担する枠組みはできたが、ほとんどの対象地域は計画もまとまらない。絵にかいたもちというほかない。

 原発事故の処理作業が続く福島県はさらに深刻だろう。いまだ復旧以前の状況。今月中にも避難指示区域が見直され、一部地域は帰還の道がやっと開ける。だが肝心の除染を国がどう進めるか、詰めの議論はこれからだ。実質的には自治体への丸投げになりはしないか。

 地元が復興の担い手となるのは当然である。しかし現状を見れば、国が自治体に面倒を押しつけてきた印象は拭えない。

 今こそ復興施策の進め方を仕切り直す時ではなかろうか。

 まずは被災地との信頼回復である。この1年、ずさんな震災対応に加え、政治の停滞で復興が後回しになったことへの怒りは積もりに積もっている。同じことを繰り返してはならない。

 そして苦しい状況に置かれた被災者の生活を守る大原則を、再確認してもらいたい。

 企業誘致につながる復興特区の推進も一つの方法だろう。だが被災地の基盤である1次産業の再生こそ何より急がれる。

 三陸沿岸の漁業や水産加工業をどう復活させるか。作付け制限の決まった福島のコメづくりを、安全対策も含めてどう支えるかも問われてこよう。

 地域医療への目配りも求められる。避難生活で体調を崩すなどした「震災関連死」は1300人を上回る。なのに被災地の医療機関の多くが震災前の診療水準を回復していない。

 総じていえるのが深刻なマンパワー不足だ。被災地は今、全国の自治体から約800人の応援職員を得てしのいでいるが、4月以降は見通せない。国の支援策をさらに強化すべきだ。

 各地からのボランティアもめっきり減っている。わずか1年にして地元が「風化」を心配するのも無理はない。全ての国民が被災地の厳しい現状を心に刻む。そのすべを考えたい。

(2012年3月10日朝刊掲載)

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