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社説・コラム

社説 大震災1年 <下> 再生

 あの日、津波にのまれる東北の光景を目の当たりにして、私たちは誓ったはずだ。助け、支え合い、必ず立ち上がると―。

 ボランティアが集結し、支援物資が届いた。被災地から遠く離れて暮らす人も、少々の不便は我慢し、無駄な明かりは消した。暴動などの騒ぎは起きず、秩序が保たれたとして、日本は海外から称賛された。

 1年たった今、残念ながらこの国の姿は、のど元過ぎて熱さを忘れたように映る。

 日本文学研究者ドナルド・キーンさんは先日、日本国籍を取得した際、喜びの一方で語っている。「震災直後、日本人は力を合わせ助け合っていたが、今やそうではない。がっかりしている」

 大震災と福島第1原発事故の犠牲や被害を無駄にしないためにも国のあり方、私たちの生き方を見つめ直すべきだ。1年が過ぎたが、遅くはなかろう。

 目指すべき復興とは何だろうか。国内総生産(GDP)世界2位への返り咲きが目標ではあるまい。

 成長の内実が問われよう。日本は戦後、めざましい経済発展を成し遂げた。そろそろ豊かさを金額や数字ではなく質で測る、新しい物差しで国の再生を進めたい。

 しかし現実には早速、経済的な復興を追っているように見える。原発の再稼働を急ぐ動きがその象徴に思えてならない。

 震災被害の大きさを顧みるとき、日本のこれまでの物差しが、国土や国情にあっていたかを自問する必要があろう。

 古来、大規模な地震と津波に見舞われた歴史がありながら、教訓を十分に生かしてきたとはいえまい。大津波への備えしかり、原発の立地しかり。再出発にはいま一度、地震列島であることの自覚が不可欠だ。

 もう「想定外」は許されない。巨大地震の危機は強まっている。防災対策の抜本的再構築が必要だ。

 中国地方も例外ではない。東海・東南海・南海の巨大地震について検討する内閣府の有識者会議は、震源域を従来の約2倍に広げた。瀬戸内でも甚大な被害が予想される。地域防災計画の見直しを急がねばならない。

 検証し、立て直すべきことは山ほどある。この1年で露呈したのは、首尾一貫せず前に進まない政治、縦割りで機能しない行政の仕組みであった。

 復興や防災の基盤となるのは、市民レベルの取り組みだ。一人一人の心掛けが問われ、試されよう。

 「絆」「がんばろう日本」の言葉が叫ばれた1年だった。だが、その響きは今や消え入りそうに思える。原発事故に伴う風評被害、震災がれき受け入れをめぐる反応など、首をかしげたくなることも多い。

 いまだ遠い復興への道のり。被災地と痛みを共有し、共生する姿勢が始点だろう。

 地域からも息の長い支援を続けたい。被爆地広島は、原発事故のあった福島の痛みに寄りそえる。医療や心理ケアをもっと尽くしたい。

 漁業などの産業面でも多様な後押しが期待される。カキいかだ支援は早速実を結び、漁業者を元気づけた。養殖や水産加工のノウハウをはじめ、役立てることは多いはずだ。

 中国地方にも多くの避難住民が身を寄せる。よき隣人として、支え合いたい。地元産業にとっても、東北の人々の知恵や経験を得て、つくり出せるものがあるだろう。

 「目標はふたたび山頂をめざすことではない」。作家五木寛之さんは近著「下山の思想」で歩むべき道をつづる。悲観論ではない。「実り多い、豊かな下山を続ける必要があるのだ」

 震災を経験した日本こそ、産業構造や生活の意識、様式など、方向転換を率先して模索すべきだろう。向かう先は、自然エネルギーが軸の持続的成長、節約節電を旨とする社会、安心・安全な暮らしであろう。

 生まれかわった新しい価値観で、世界に範を示したい。

(2012年3月12日朝刊掲載)

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