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社説・コラム

今を読む 広島修道大名誉教授 森嶋彰 電気のあり方

 わが国では1960年ごろから低廉な石油が大量に供給され、使いやすさも相まって石炭からのエネルギー転換が進んだ。さらに高度経済成長により、石油の消費量は急増の一途をたどる。

 その結果が、硫黄酸化物や窒素酸化物による大気汚染である。73年と79年の2度にわたる石油危機は、石油に頼る危うさを気付かせてくれる機会でもあった。

 そうして新たなエネルギーとしての原子力利用が国策として推進されるに至る。総発電量の40%近くを原発でまかなう「原子力の時代」へと移行したのである。

 一方で90年代から地球規模で環境問題のうねりが起きた。地球温暖化は人類の抱える極めて重大な課題となり、97年に京都で開かれた気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)を機に、温暖化対策に国を挙げて取り組んできた。

 ところが、2012年までに対1990年比で温暖化効果ガスを6%削減する国際的な約束を達成することが極めて困難となった。国が原発の新増設を推進してきたのは、そのつじつま合わせといえる。

 そして手軽に使えるエネルギーとして大した疑問も抱かずに電気を使い続ける私たちは、国の方針を黙認してきたのである。

 そのような折に遭遇したのが東日本大震災であり、東京電力福島第1原発の事故であった。

 私たちは国や東電から出てくる情報の少なさに驚き、新たに知る現実に目を見張る日々が続いた。信じていた原発の安全神話はもろくも崩れ去り、本当の情報が与えられているのかと不安な時間を過ごした。

 これはエネルギーの消費者が、その消費者としての権利を侵害されている状況と言えるのではないか。

 消費者の権利とは何か。

 ジョン・F・ケネディ米大統領は1962年、①安全である権利②知らされる権利③選択できる権利④意見を反映させる権利―の四つが消費者の権利だと提唱した。

 さらに、被害への救済をはじめ国際消費者機構(CI)などが追加した四つの権利も盛り込み、2004年にわが国で施行されたのが消費者基本法である。

 そこでは、事業者と消費者の間に情報の質や量で格差があることを踏まえ、消費者の利益の擁護にとどまらず、その自立を支援することも基本理念として明文化された。

 私たちはそれぞれの価値観で、物やサービスを選択して求めている。それは鮮度や味であったり、環境への配慮であったりする。

 しかし、大企業などを除き電気を使う側には「選択できる権利」がないのが現状だ。そのうえ今回の事故では、最も基本であるはずの「安全である権利」や「知らされる権利」もないことに気付かされた。

 必要なのは、消費者が望む電気のあり方を消費者自身が決める仕組みだろう。すなわち、今使っている電気が私たちの求めるものでないのなら、ほしいエネルギーを自由に購入できる仕組みである。

 家庭用電力を含めた真の電力自由化は、その結果として発電方式を変える(原発をなくす)ことにつながるであろう。

 ところが、一つの会社が発電・送電・売電を担う地域独占型の垂直分業は、さまざまな形で新規参入を拒み、自由化を阻害している。

 この現実を直視し、まずは発電・送電・売電を分離する水平分業に変え、送電網を中立化することから始めるべきだと思う。

 その先に目指すべきは、風力や小水力、太陽光、バイオマスをはじめとする自然資源を活用し、可能な限り地域のエネルギーを地域でまかなう社会であろう。地域が事業を主導することで、得られた利益が地域に還流する仕組みにもつながる。

 電気を使う側が電気のあり方や社会の行く末を考える。それは、ケネディ大統領のいう「意見を反映させる権利」の行使にほかならない。

(2012年3月13日朝刊掲載)

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