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社説・コラム

『言』 米大統領の広島訪問

◆藪中三十二・前外務事務次官

 「核なき世界」を目標に掲げたオバマ大統領の「プラハ演説」から間もなく3年。当時の機運の高まりとは裏腹に、一足飛びに核兵器の廃絶へ向かわない米国、国際社会の現実がある。米主導で核軍縮を進める鍵は何か。大統領が広島を訪れる意味は。藪中三十二・前外務事務次官(64)に問うた。(聞き手は岡田浩平、撮影・坂田一浩)

―2010年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の成功後、期待したほど核軍縮が進みませんね。
 「次の一手」が難しい。米国とロシア間で、新戦略兵器削減条約(新START)に続くもう一段の削減交渉が進むかどうかがまずポイントです。次にNPTの基本概念として、すべての核兵器保有国が核軍縮をしなければならない。増やしている国があれば、大きな問題です。

                                                                            ―被爆国は何ができますか。
 日本は技術を持ちながら核を持たない決断をした、ある意味、世界のモデル。核軍縮を堂々と主張すべきです。私も言い続けてきました。

―しかし、米国の「核の傘」の下では説得力を欠くのでは。
 周りの国が核兵器を持っており、安全保障が必要なのは事実です。一方で理想を高く掲げるのは日本の責任であり、ちゅうちょする必要はありません。同盟関係にある日米が考え方を異にしてきた珍しい事例の一つが国連での核廃絶決議です。日本が先頭に立ち、米国は一時の反対から賛成に回り、共同提案国になった。そういう努力をして、声を上げていかないと。

―核の傘の下から核兵器廃絶を訴えるのは矛盾しませんか。
 しません。大事なのは矛盾しないと確信を持って訴えることです。

―各国首脳に被爆地で悲惨さを肌身で感じてもらうのも重要です。オバマ大統領にも広島を訪れてほしいと思いますが。
 ぜひ来てもらったらいい。被爆国にあっても広島は一番大事な場所。人類共通の「核を廃絶する」という願いを込めて訪問してほしいと思っています。

 ―藪中さんは09年11月の大統領初来日を前に、広島訪問は「時期尚早」との考えをルース駐日大使に伝えたのではないですか。11年9月に内部告発サイトの「ウィキリークス」が公開した米外交公電で指摘されました。
 「時期尚早」とは言っていない。何か記憶があるとすれば、「謝罪のための訪問はあまり適当でない」とは言いました。

―どういうことですか。
 当時、天皇陛下や首相がハワイの真珠湾に行かれ、対比する形で、大統領が広島に来る「相互訪問」というアイデアがありました。これは互いに謝罪のためという位置付けになり、いいとは思わない。今の日米はそういう格好で訪れる必要のない関係です。むしろすっきりと、核廃絶のための訪問をする方がいいと思っていたし、相手に言いました。

―大統領の広島訪問をルース氏に依頼したのですか。
 次官と大使はいろいろな話をします。大統領に訪問してもらうのはいいね、というのも話題にはなったと思います。依頼ではなく、意見交換です。

―10年11月、アジア太平洋経済協力会議(APEC)での来日時も訪問を期待しましたが。
 全体として10年は日米安全保障条約改定50年の記念すべき年であり、本格的な大統領の来日が望ましかった。1日会議に出るためでなく数日滞在してもらうイメージ。その一環で広島訪問があるのが最もいい姿でした。関係者が頭に描いた一つの構図です。残念ながら当時は日米関係がぎくしゃくして、そういうムードではなかった。

―米国内にある原爆投下を正当化する考えも障害では。
 日本側が気にする必要はない。プラハ演説に対しても米国内で異なる考え方を持つ人はいるけど、核のない世界が人類の理想、とかじを切っています。核廃絶を願う大統領が当然広島に来て「核のない世界」をつくる思いを強くし、世界へメッセージとしてアピールする。そういうストレートな思いで希望を伝えればいいと思います。

やぶなか・みとじ
  1969年外務省入省。アジア大洋州局長のとき、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議の日本代表を務め注目を浴びる。2004年5月、小泉純一郎首相の2度目の訪朝時も、金正日(キム・ジョンイル)総書記との首脳会談に同席した。08年1月に事務次官に就任。09年9月の政権交代で岡田克也外相から日米両政府の「核密約」の調査を命じられ、自民党政権が否定してきた密約の実態解明の先頭に立った。10年8月に退き、現在は野村総合研究所顧問。主な著書は「国家の命運」。

(2012年3月14日朝刊掲載)

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