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社説・コラム

『いい日』 お好み焼き 福島に力を

 「お好み焼きを焼くために自分は生きとるんじゃなかろうか」。福島市内で唯一の広島お好み焼き店「かっちゃん」を営む井上和弘さん(38)=福山市出身、写真右=は東日本大震災後、こう思うようになった。妻和美さん(35)=同左=の郷里の福島でお好み焼きを作り始めて、この春で10年になる。

 前触れもなく人々の日常を奪った震災。2日後に母と弟が広島からかけつけてくれた。キャベツやガソリン携行缶、支援金…。古里からの気持ちが詰まったワゴン車に乗って。

 当時、井上さんの思いは揺れていた。原発事故のせいだ。原爆が頭に浮かび、放射能への恐怖心が勝った。荷物をまとめた直後、常連客が訪ねてきた。

 「広島に戻る」。そう告げると、いつもは冗談しか言わないおやじさんが涙で顔をぐしゃぐしゃにして言った。「おいしいお好み焼き、ありがとう」。自らの事で手いっぱいなのに、自分たちを気遣ってくれる人がいる。やはり、ここでお好み焼きを焼こう―。

 震災1週間後には店を再開。2週間後には避難所にかけつけ、毎日200食焼いた。戦後、広島の復興を支えたお好み焼き。「おいしいね」。避難者の笑顔に逆に励まされた。

 広島代表になりたい―。福山工業高時代から400メートルハードルに打ち込み、夢見た。けれど1番にはなれなかった。今は、広島からのエールを背負った代表選手の気持ちで鉄板に向かう。

 「誰かが導いてくれたんかのう。福島でお好み焼きを焼く道に」

 カープにちなんだ真っ赤なTシャツ姿の長女瞬ちゃん(5)が店内をかけ回る。3月11日は普段通り迎えた。「ありがとうございました」。井上さんはいつもの笑顔で客を送り出す。「当たり前」の喜びを、かみしめて。(山本洋子)

(2012年3月14日朝刊掲載)

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