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社説・コラム

『永田町発』 3・11後と政治 公明党 斉藤鉄夫幹事長代行

官僚との分担 機能せず

 公明党の斉藤鉄夫幹事長代行(比例中国)は、菅直人前首相と同じ東京工大出身で、後輩にあたる。東日本大震災の発生後は、毎日のように携帯電話で連絡を取り合った。「菅さんは最も正しい選択をしようと必死だった。ただし、本当の意味の政治主導をはき違えていた」と語る。(武河隆司)

  ―震災直後、どんな対応をしましたか。
 私は党の原発災害対策本部長になり、週に1度は官邸に出かけた。結局、党として半年間で566項目の提案をした。例えば、高い位置から原発に注水するために使ったドイツ製の生コン圧送機。あのアイデアを持って行ったのもわれわれ。

  ―政府の対応をどう思いますか。
 霞が関が持っている情報とノウハウをフルに提供させて、政治家が方向を出す、ということができなかった。分担と責任のシステムが動かなかったから、予算だけ付いてもそれを実行できず、対応の遅れにつながった。

 菅さんは、こだわりを持ち続けている技術者。ねちっこくて細かい。首相が決めるべきでないところまで全部指示してしまった。菅さんが首相だったことの不幸でしょうね。

  ―自公政権であれば、よりよい対応ができたと思いますか。
 少なくとももっときちんと危機管理はやれたと思う。緊急危機対応では、官邸内に集まる部屋があって、首相が、各省庁のトップや次官に手配する。そうした設備や手順は既にあるのに、今回は働いていなかった。

  ―今後のエネルギー政策についてどう考えますか。
 われわれも、安全神話の上に乗っかっていたと言われても仕方ない。真摯(しんし)に反省し、原子力に依存しない社会をつくらねばならない。省エネや再生可能エネルギーの拡充、化石燃料発電の効率化を進め、原子力への依存を減らしていくべきだ。

 再稼働は全面的に否定はしないが、急ぐべきではない。地元の了解が得られるような分かりやすい安全基準を作ることが必要だ。

(2012年3月18日朝刊掲載)

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