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社説・コラム

『悼記』 加害の罪見つめ 生涯ささげる 鹿田正夫さん

戦争体験の語り部 
鹿田正夫(しかだ・まさお)さん 1月28日、93歳で死去

   戦争体験を語る時、被害よりは加害を語る方が苦しいに違いない。1月末、93歳で亡くなった浜田市の鹿田正夫さんは、そのつらさから逃げなかった語り部だった。

 「戦争は人間を鬼にする」が持論。優しさがにじみ出るような顔と証言内容との落差が、その証しを立てていた。

 出雲市出身。1941年、23歳で旧陸軍に入隊し、浜田で初年兵教育を受ける。動作の鈍い隣の兵をかばったら、上官に「生意気だ」と鉄びょうの靴で頬を殴られ、切れた口内に熱いみそ汁を流し込まれた。「いつか見返してやる」。軍隊での昇進を全てに優先させた。

 中国内陸部を転戦。小隊長として襲撃した村では、病気の娘の命乞いをする農民の目の前で、娘を撃ち殺させた。捕虜を拷問し、日本軍のスパイになることを拒んだ青年には「剣道の腕の見せどころ」と、軍刀で首を落としたという。

 敗戦後、シベリア抑留を経て、中国の戦犯管理所で内省の日々を過ごす。「罪に向き合い、鬼から人間への道を歩み始めた」。56年、37歳で帰国した。

 語り部を始めるのは石油販売会社を退職後の62歳から。同じ戦犯管理所から帰国した仲間と広島市で初めて証言に立つことに。直前になって悩む。「半月後に控えた長女の結婚に差し障るかも」

 その時、はっと気付く。「中国のあの農民にも、娘を思う同じ親心があったのだ」。以来、証言を生涯の責務とした。90歳からパソコン教室に通い、自分史「私と戦争と」を書き上げたのは昨春だった。(道面雅量)

(2012年3月18日朝刊掲載)

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