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社説・コラム

『潮流』  ヨモギの「予言」

■論説委員 石丸賢

 水ぬるむころ、福島県ではヨモギまんじゅうで春の訪れを喜ぶという。その3月初め、会津若松市の県立博物館で東北復興シンポジウムを聴いた。

 「チェルノブイリ原発の爆発事故が糸口となり、5年半後にソ連は崩壊した。福島第1原発の対応次第では日本だって、そうならないとは限らない」

 口火を切って発言した館長で民俗学者の赤坂憲雄さん。憂いのこもった声音が今も頭の隅から離れない。

 チェルノブイリの事故は1986年4月に起きた。政府の権威が揺らぎ、科学や技術に対する信頼は根元からくずおれる。泥縄式のグラスノスチ(情報公開)も追いつかず、歴史的な「崩壊」へと追い込まれていったとの見立てだ。

 同じ道を日本がたどっていないと、今の時点で誰が言いきれよう。

 放射能汚染について事故後、情報統制に走った政府の姿が浮き彫りとなりつつある。政治不信の声は与野党全体に及んでいる。

 「子どもや女性は今からでも避難すべきだ」「いや心配ない」。見解の分かれる専門家に向く視線は和らぐどころか、険しい。

 見通しのなさが国民のいら立ちをかき立てている。「脱原発依存」の道にしても、社会保障や税の行方にしても同様だ。迷路さながらで、目指すゴールと道しるべが目の前に立ち上がってこない。

 古里福島にとどまり、仮設住宅の自治会を引っ張る男性も胸の内は複雑なようだ。「寄る辺ないということが、これほど不安とは思いもしなかった」

 除染が遅れ、野辺には飛び散った放射性物質が今なお残る。この春はきっと、ヨモギを摘み歩いた人はいないだろう。

 チェルノブイリはロシア語で「黒いヨモギ」の意味。赤坂さんの憂いを「ヨモギの予言」とするわけにはいかない。

(2012年3月24日朝刊掲載)

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