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社説・コラム

『論』 広島平和研の役割

■論説委員 金崎由美

 被爆地の研究拠点として、どう発信力を高めていくか。設立から14年になる広島市立大広島平和研究所の真価が問われている。

 最大の懸案だった所長不在は2年で解消されることになった。来年春、国際政治学者の吉川元・上智大教授の就任が決まったからだ。

 初の広島市出身者。「広島からもっと発信すべきことがある」とは記者会見での弁だ。どんな発想で臨むのか、かじ取りを注視したい。

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 市が鳴り物入りで発足させた平和研は、いくつもの点で岐路に差し掛かっている。

 まず組織面では大学自体が2年前に法人化し、位置付けが見直されたことだ。研究だけではなく大学教育への参画も求められるようになった。

 大学の一部として、その存在が埋没するのは望ましいことではない。今は市中心部のビル内に置かれているが、いずれ郊外の市立大キャンパスへ移転する計画もある。これまで以上に目に見えるアピールが求められよう。

 もう一つは市民や被爆者団体から「期待に応えきれていない」との声があることだ。

 象徴が所長人事の難航ぶりだ。「空白」は2度目。初代の明石康・元国連事務次長は就任から10カ月後に辞職した。あちこち専門家に声をかけたが快諾を得られず、この時も後任の所長が就くまで2年かかった。

 これまでの研究内容の還元も十分だろうか。国際シンポジウムや市民講座の開催を通して、朝鮮半島情勢や核関連の米公文書分析などの成果を発信してきたのは確かだ。

 とはいえスタッフが個別に研究を進めているのが現状。平和研全体がどんな方向性を持ち、何をしようとしているのか一般の人には見えにくかった。これも体制がしっかりしていないからだ。

 設立の理念に立ち返り、存在意義を確認すべきだろう。

 市は30年前、軍縮と平和を発信する国立研究所の広島設置を求めた。難しいと分かり、市独自の設置に転じる。最終的に市立大の付属機関に落ち着いた。

 当初の基本構想では「開かれた研究所」として原爆被害や核廃絶を研究の重点としていた。市のシンクタンクとしての役割もうたわれた。

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 今はどうだろう。少なくとも市と十分に意思疎通を図っているとはいえまい。

 秋葉忠利前市長が進めた「オバマジョリティー」キャンペーンに対し、前所長が批判する場面があった。

 5千の加盟都市を抱える平和市長会議をはじめ、市の平和施策の知恵袋としてもっと関わっていい。

 市だけではない。広島県も昨年「国際平和拠点ひろしま構想」をまとめ、核廃絶や平和構築で被爆地が果たすべき役割を提言した。具体化すれば平和研として果たすべき役割もあるのではないか。

 広島大にも平和科学研究センターがある。長崎大には来月、「核兵器廃絶研究センター」ができる。こうした研究機関とのネットワークづくりも課題となろう。

 核兵器禁止条約の締結などを訴える被爆地は、核保有国のかたくなな姿勢に突き当たっている。吉川氏は核兵器そのものがいらなくなる国際関係のあり方を研究し、提示したいと言う。「核兵器廃絶は願うだけでは実現しない」とも。その通りだろう。

 ただ各地の研究者からは「原点のヒロシマの問題に正面から取り組む人が少ない」との指摘もある。生き証人の高齢化が進み、被爆体験を思想化して次世代につなげることも求められている。被爆地ならではのビジョンを吹き込むことを忘れないでほしい。

(2012年3月29日朝刊掲載)

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