×

社説・コラム

『言』 想像力駆使 原発問い掛け 3・11後の表現とは

◆アーサー・ビナード 詩人

   「さいたさいたセシウムがさいた」。この演題で詩人アーサー・ビナードさん(44)は3月10日、さいたま市で講演するはずだった。だが抗議が寄せられ、主催者が講演自体を中止した。表現者としてどう受け止めているのか聞いた。(聞き手は論説委員・田原直樹、撮影・室井靖司)

  ―風変わりなタイトルですが、どこから付けたのですか。
 チューリップの歌を思った人もあるようですが、戦前の小学校教科書「サクラ読本」の「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」からとりました。「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」と続く、軍国色濃いものです。

    ◇

 ―副題は「3・11後の安心をどうつくり出すか」。狙いは何だったのですか。
 教師も多く集うと聞き、原子力教育を問いたかった。福島第1原発事故の前、文部科学省などは全国の小中学校に「わくわく原子力ランド」といった副読本を配りました。原発の安全性を強調し、一つの価値観をすり込む点で「サクラ読本」と本質は同じ。事故が起きると今度は、放射能の影響をオブラートに包む新しい副読本を作り、使わせようとしている。

 ―中止になってしまったことを、どう受け止めていますか。
 脅迫めいた電話を受けた主催者事務局が中止したのです。心地よい演題ではないけれど、現実を見るレンズとして機能する言葉と考え、紡いだのです。いろんな意見があるのは当然ですが、講演を聞いて違和感が残れば主張してほしかった。内容を知る前から拒否反応を示し、脅すのは問題。日本の言論空間が異常な状態にあると思います。それも次元の低いところで。

 ―「福島の人を傷つけた」との批判があったそうですが。
 18年前から毎月訪れている青森をはじめ大震災の被災地は頻繁に通う土地。友人も多く、被災者がどれほど踏みにじられたか知っています。地震と津波、さらに原発事故という人災で放射性物質をばらまかれた。昨年末の首相の収束宣言も計り知れない傷を与えました。

 ―納得はしてないのですね。
 中止された翌週、東京で対談をしました。「傷と絆とどっちが深い?」の演題です。他にも原子力政策を「“平和利用”なーんちゃって」と題し、何度も語りましたが抗議はありません。聞いてもらえば分かります。

 ―しかし閉塞(へいそく)状況ですね。
 震災前はもっと異常でした。マスコミでとりわけテレビで原発の話はできませんでした。編集でカットされたことも。原発の問題に放送電波で触れるのは一種のタブーでした。今は触れられますが、まだ抑えようとする圧力をひしひしと感じます。

    ◇

 ―この時代に詩人が果たすべき役割とは。
 想像力で仕事をするのが詩人。なかでも福島の詩人若松丈太郎さんは素晴らしい想像力と観察眼の持ち主です。チェルノブイリ周辺の光景を、福島の原発の周辺市町村に重ね、危険をあぶり出した詩は、18年も前の作品です。これほど今のフクシマとつながる詩は他にありません。「予言」のようで鳥肌が立ちました。詩人がやるべき仕事の一つを示しています。彼の詩と僕の英訳を本にしました。

 ―自身はどんな詩作を?
 将来、何が起きるかを想像して表現しようと、動植物を見つめています。被爆地や原発周辺で桜の花の異常や変化をみている市民の「サクラ調査ネットワーク」のようにね。現実を見抜き、本質を捉えた詩は何百年たっても古びませんから。

 ―原発の再稼働が議論されています。
 今、流れを変える最後のチャンスとも言うべき局面です。原子炉に終止符を打たず、再稼働を許せば、死の灰が作られ続け、いずれ漏れ出します。広島・長崎への原爆投下以来、地球が生物のすめない惑星になる日が、確実に迫っています。

 ―では、どうしますか。
 危機意識だけ叫んでも世の中は変わりません。言葉を工夫して伝えていくしかないでしょう。刺激的にしたり、謎めかせたり。言論の自由が憲法で保障されていて、ありがたいけれど、使わないと、なくなってしまいます。

アーサー・ビナード
 米国ミシガン州生まれ。詩集「釣り上げては」で中原中也賞、「ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸」は日本絵本賞を受賞。東日本大震災後は広島市中区にも拠点を置き、ヒロシマとフクシマを見つめている。近著に若松丈太郎さんの詩とその英訳などによる「ひとのあかし」(清流出版)。今年2月、広島県内の平和活動家や大学教授、弁護士らと「さよなら原発ヒロシマの会」を設立した。

(2012年4月4日朝刊掲載)

年別アーカイブ