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社説・コラム

『論』 震災体験を聞く 「語り部」活動に支援を

■論説委員 岩崎誠

 見渡す限り、いまだ廃虚のような光景が広がる。ぽつんと残るのは、鉄骨だけをとどめる防災対策庁舎だ。大津波で壊滅した宮城県南三陸町の中心部。あの日から1年後の厳しい現実に言葉を失った。

 漁業のほか、体験型観光の拠点として東北では知られた町。犠牲者と行方不明者は875人に上る。広島から足を運んだのは、被災体験を証言する「語り部ガイド」がいると聞いたからだ。

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 町はずれの仮設商店街のプレハブ。特産市に合わせ、月1回開かれる証言の集いに参加した。町外からの買い物客らの前に立ったのは、もともと観光ガイドサークルに入っていた住民有志である。

 後藤一磨さん(64)は高台に逃れて命拾いしたが、目の前で自宅が引き波にさらわれた。それでも「私たちは元気に頑張る。素晴らしい町をよみがえらせ、日本の希望のモデルになる」と力強かった。

 菅原清香さん(60)は母親が行方不明のままだと涙ながらに語り、「今はいつ、どこで災害に遭うか分からない。とにかく逃げて。まず自分の命を守って」と繰り返した。

 どの証言にも胸を打たれる。聞く方がその場にいるような気持ちになるのは、わずか1年前という記憶の生々しさ故だろう。同席した若者たちも、思わずハンカチを目に当てていた。

 南三陸町では10人ほどのメンバーで、昨年5月から証言活動を始めた。観光協会を窓口にして首都圏などから被災地を視察するツアーも受け入れる。既に4千人以上を相手に語っている。

 悲劇を風化させず、津波の教訓を伝えなければ、という使命感。わが町に足を運ぶ人を少しでも増やし、復興につなげる願い。さまざまな思いに支えられ、つらい心境でも口を開いているようだ。

 「語り部」と名乗るのは深い悲しみを乗り越え、あの日を語り継いできた広島と長崎にならったという。

 同じような証言活動は、三陸沿岸のほかの被災地にも広がりつつある。防災学習の場として、修学旅行などで訪れる学校は、遠からず増えていくだろう。

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 いわば「先輩」にあたる広島からも、何らかの手助けができないものだろうか。

 現地も研修はしていると聞くが、語りぶりも力を入れる中身も人によって違う。試行錯誤の途中のように思えた。悲惨極まる話を子どもたちにどう教えるか。教材づくりや証言の映像化など、ノウハウを伝えることもできよう。

 被災地から来てもらい、多くの市民に証言してもらうのもいい。西日本にも津波をもたらす南海トラフの巨大地震のリスクがこのところ指摘され、防災教育の充実が求められているからである。

 廿日市市の宮島観光協会は来月、同じ日本三景である松島観光協会の代表を招き、大津波の体験や今後の備えについて学ぶという。

 被災地の語り部の力を借り、こうした動きを市民レベルで広げれば東日本大震災の記憶の共有につながろう。

 さらには被爆体験の継承にとっても、新たな風が吹き込まれるかもしれない。

 17年前、阪神大震災に見舞われた神戸にも、被災体験の語り部たちがいる。ゆくゆくは「被爆地」と「被災地」が手を携えるネットワークづくりができないだろうか。

 もちろん戦争による被害と自然災害では、おのずと意味合いが違う。とはいえ、いのちの重みを未来に伝えていく責務では変わるまい。

 お互いに学び合い、発信していく証言の集いを持ち回りで開けば―。そんなアイデアも頭に浮かんでくる。

(2012年4月12日朝刊掲載)

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