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社説・コラム

『潮流』 つながる歴史

■文化部長 石井伸司

 江戸時代には30軒だった広島市内のお菓子屋さんは、明治期には300軒に増えたという。その中心は「柿羊羹(ようかん)」の専門店。日持ちの良い栄養食でもあった柿羊羹は軍の関係者らによって全国へ広がり、戦地にも運ばれた。

 広島民俗学会が昨年秋に開いたシンポジウム「広島の菓子と食文化」の詳報にそうある。会報「広島民俗」の第77号が最近届き、興味深く読んだ。

 広島市では来年春、全国菓子大博覧会が開かれる。パネリストの一人、広島県菓子工業組合副理事長の大谷博国さん(にしき堂社長)は今、1冊の本を編集していることも報告した。「原爆でほとんど壊滅状態になった広島のお菓子の歴史・文化を後世に残すために」

 圧倒的な破壊力のために「失われたこと」が被爆の検証や考察で追究されてきた。発掘に手間暇のかかる「失われたもの」や、「続いているもの」にも目が向けられようとしている。

 「広島ではこれまで被爆前の歴史を語るのに、何かはばかられるような雰囲気があった。きちんと語ることができるようになるきっかけになればいい」

 3月下旬まで、ひろしま美術館(広島市中区)であった「上田宗箇(そうこ) 武将茶人の世界展」。茶道上田宗箇流の上田宗冏(そうけい)家元は展覧会最終日にそう語った。

 郊外にあって直接的な被爆の被害を免れた上田流では、今回の展覧会にも出品したさまざまな文物が継承されている。これを公にすること自体に引け目を感じていたと明かす宗冏家元。「脈々とつながる歴史の再認識は、ふるさとへの自信や誇りにもつながるはず」と期待感をにじませた。

 パズルのように全てのパーツを埋めて、被爆前の広島を描き出すことは不可能だろう。それでも、今へとつながる流れを一つ一つ確かめようとする営みは続いてほしい。

(2012年4月12日朝刊掲載)

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