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日本領海 核通過へ米が圧力 70年代

 政府が1970年代、宗谷、津軽、大隅、対馬海峡東水道、同西水道の五つの重要海峡の領海幅を法的に可能な12カイリ(約22キロ)ではなく、3カイリ(約5.6キロ)にとどめた背景に、米軍核搭載艦船の通過への悪影響を恐れた米政府の対日圧力があったことが11日、米公文書から明らかになった。

 領海拡幅で潜水艦の海峡通過が制約されれば、核戦争計画にも支障が出るとの軍部の主張を受け、米政府が日本に拡幅しないよう要求。日本側が応じ、領海の自主的な制限という世界的にも特異な措置につながった。

 元外務事務次官が今年6月、核持ち込みを政治問題化させないよう領海幅を制限したと証言したが、その前段として、核艦船の通過・寄港を認める密約を背景に核艦船通過の既得権死守を狙う米国の対日工作が存在していたことになる。

 日本政府はこれまで、5海峡を領海3カイリの「特定海域」としてきた理由を「船舶の自由な航行を保障するため」と説明してきた。1977年施行の領海法に基づき、12カイリ領海を採用した場合、津軽、大隅両海峡の全域が日本の領海となる。

 文書は日米関係史家の新原昭治氏が米国立公文書館で発見した。

 1972年の米太平洋軍司令部史によると、同軍司令官は軍上層部に対し、津軽、宗谷、マラッカなどアジアの五つの海峡が「米国益に極めて重要」と説明。同海峡での「自由通航権」が認められないと(1)有事の米軍投入に時間がかかる(2)全面核戦争のシナリオ「単一統合作戦計画」を支援する潜水艦の活動に影響が出る―などと指摘した。

 軍部の意向を踏まえ、米外交当局は12カイリ領海を認める国連海洋法条約(1982年採択)の国際交渉に当たり、軍艦の自由通航権を認めるよう訴えた。  当時の米公電によると、国務省は1974年6月、在日米大使館に対し「一方的に海峡通航を制限すれば、日米の安全保障上の利益を損なう形で、第7艦隊の移動の自由が制約される」と書簡で日本に警告するよう指示。

 1975年12月19日には国務省首脳が安川壮駐米大使に、日本領海の12カイリ拡張に「深刻な懸念」を表明、日本の「一方的行為」が「日米関係を複雑化させる」とけん制した。同29日にホッジソン駐日大使が宮沢喜一外相に拡幅反対を申し入れると外相は「特定の海峡」での自由通航を認める方策を検討していると説明した。

(共同通信配信、2009年10月12日朝刊掲載)

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