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社説・コラム

『潮流』 暗闇で考える 

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 宮崎智三

 恐る恐る入った異国のレストランで突然、店内が真っ暗に。一人だけの夕食の心細さが、予期せぬ事態で一層身に迫ってきた。慌てて辺りを見回す。

 地元客は皆、平然と会話を続けている。驚いているのは、どうも自分だけのようだ。そのうち、店員が各テーブルに火の付いた大きなろうそくを運んで来た。

 共産主義政権崩壊後の1990年、取材で訪れたブルガリアで遭遇した出来事だ。ソ連(当時)からの石油が止まり、発電燃料は枯渇。首都ソフィアでも断続的に停電を強いられていた。帰り道、真っ暗な街で路面電車だけが光を放っていた。暗闇で感じた強い不安とともに印象に残る。

 ソ連の束縛から離れ、自由を得た代償の不便さだったのか。それでも、街角の若者たちからは、明日を信じるひた向きさを感じた。

 あれから20年余、今度は日本が停電になるかもしれないという。政権与党の幹部から、原発の再稼働を認めなければ「日本が集団自殺するようなことになる」との発言まで飛び出した。

 電気のない生活は考えられないが、まず再稼働ありきの姿勢には違和感を覚える。徹底した安全確認や第三者による需給バランスの検証はないままだ。国民の不安は解消されていない。

 経済成長を最優先し、便利さを追い求めた果てに何が起きたのか。立ち止まって、暮らしのあり方を見つめ直そう―。福島第1原発事故から、そんな教訓を得たはずなのに。

 「今ある電力で成り立つような文化生活をこそ考えよう」。40年も前に、「豆腐屋の四季」で知られる作家の故松下竜一氏は提案していた。そのためにも、あえて暗闇に身を置いて考えることが必要だとも。

 便利さとは決して引き換えにできないものが暗闇でなら、きっと見えてくる。ソフィアの暗がりを頭に浮かべながら、そう思う。

(2012年4月19日朝刊掲載)

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