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社説・コラム

ひろしま菓子博 あと1年 「平和の味」かみしめて

 全国菓子大博覧会(ひろしま菓子博)の前身が戦前に開催された会場は、県立商品陳列所だった。現在の原爆ドーム(広島市中区)である。その後、原爆投下で優美なデザインの会場も、広島の菓子文化も壊滅的な打撃を受けた。「甘味は平和の象徴」。復興をとげた街で来年、大輪が再び咲く。(山本堅太郎)

 西洋の街角を思わせる陳列所の外観と元安川。ゲートをくぐる和装の子ども―。にぎわいを伝える写真が当時の報告書に残る。

 菓子博の前身「全国菓子飴(あめ)大品評会」は1921年4月1日に開幕。15日間で約14万人が来場した。広島市の当時の人口は約16万人。「いかに盛会なりしかを察するに足るべし」とつづられている。

 城下町、軍都として栄えてきた広島。戦前は350人余りいた菓子業者の大半が、原爆の犠牲になったという。失われた技術も少なくない。

 菓子業者は原爆投下の約1カ月後、再び立ち上がった。県菓子協同組合連合会の創立50年史には、市内の業者たちが県からの指示で、軍に残っていた砂糖と油を用いて「芋かりんとう」を作り、市民に配ったとある。

 菓子博実行委員会の荒川宣昭事務局長は「戦争で市民の生活から一番先になくなるのが菓子だった。それを楽しめるようになることこそが平和の始まりだった」と話す。

 来年4月に開幕する菓子博の会場は、原爆ドームと通りをはさんだ旧市民球場跡地。市内には今、748の菓子店がある。

 会場では、地元の菓子職人が、砂糖や米粉で巨大な厳島神社の工芸菓子を作り、広島の菓子文化を輝かせる。実行委の伊藤学人事務総長は「原爆ドームと華やぐ会場から平和の尊さを感じ取ってほしい」と願う。

(2012年4月19日朝刊掲載)

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