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社説・コラム

天風録 「新藤監督100歳」

 自分たちがつくりたい映画、つくるべきだと確信する映画をつくってきた―。数々の名作をものにした映画監督の弁は歯切れがいい。広島市佐伯区出身の新藤兼人さん。きょう、100歳の誕生日を迎えた▲明治の最後に生を受け、大正、昭和、さらに平成。足跡をたどる企画展や上映会が市内で催されている。原爆や家族をテーマに作品を手掛け、しばしば古里をロケ地にした。広島を愛し続けた巨匠に感謝したい▲キネマの世界に飛び込んだのは22歳。まずはシナリオライターとして腕を磨き、39歳でメガホンを握った。監督最後の仕事としたのが昨年公開の「一枚のハガキ」。だがシナリオはまだまだ書き続けたいという▲旺盛な創作意欲の源泉は何だろう。数多い著書で新藤さんは仕事の気構えをこう記す。「やぶへ入って、踏み砕いて、足を傷だらけにして出てこなければモノにはならない」。自身はどれだけ傷ついたのだろう▲母校の石内小の子どもたちに呼び掛ける。「自分が何より大切だと分かれば、他人にも自分があると分かる。よく自分を見つめてしっかり生きよう」。己への思索を続け、ふた世紀目に入った人生。今の心境を聞いてみたい。

(2012年4月22日朝刊掲載)

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