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社説・コラム

天風録 「オレ、U。」

 飛行機の客室乗務員が自分に何やら愛想がいい。気をよくしていたら思わぬ声が掛かる。「東大の養老孟司さまですね」。人違いだったのだ。広島県医師会長碓井静照さんの、とっておきの笑い話。遺影となったその顔に目を凝らしてしまう▲面差しはともかく、2人とも医の世界に携わる身。互いに物書きでもあった。碓井さんの多作ぶりはつとに知られる。剣豪武蔵や宮島にちなむ歴史物から創作民話、韓流ドラマ風の物語まで、ものした▲あらためて著作を並べてみるとふと気付く。どの表紙にも、あまたあるはずの肩書が箔(はく)付けに添えられていない。そういえば、護憲グループ「九条の会・医療者の会」の呼びかけ人欄で署名を見つけたときも「医師」とだけあった▲手探りで人生を切り開いてきた、焼け跡世代の自負でもあったのだろうか。著作群に奇妙な題の一冊がある。「オレ、U。」。被爆を原点に医師を志した半生をつづる。頭文字の「U」は一切をはぎ取った、素の碓井さんのようだ▲福島の子どもの行く手を案じていた。ヒロシマを知る医師として思いに駆られ、ことし出版したのが「放射能と子ども達」。絶筆となってしまったのが惜しまれる。

(2012年5月10日朝刊掲載)

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