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社説・コラム

『潮流』 空の便 空白の半世紀

■岩国総局長 杉本貢

 岩国から最初の民間定期航空機が大阪に飛び立ったのは、日本が主権を回復したサンフランシスコ講和条約発効の13日前、4月15日だった。それから実に60年。岩国に再び、空の定期便が戻ってくる。

 民間空港の再開である。だが、路線が消えてほぼ半世紀の歳月に、「開港」と呼ぶ方がしっくりくる。

 沖合移設工事が完了した米海兵隊岩国基地の滑走路を使う。地元の官民でつくる利用促進協議会は「岩国錦帯橋空港」と愛称をつけ、この名を染め抜いたのぼりなどを作り、開港をPRしてきた。

 岩国基地北側に隣接する旭町。基地の塀の向こうに鉄筋むき出しの骨組みが見え、クレーンがそびえる。空港のターミナルビルだ。国と第三セクターが、本年度を含む3年で計約60億円かけ、それぞれの管理施設などの整備を急ぐ。

 就航するのは全日空。岩国―羽田間を1日4往復し、夜間駐機もする。朝早く岩国を出て、夜遅く戻るのが可能になる。岩国は広島空港まで道路距離で100キロ、山口宇部空港まで120キロ、二つの空港のはざまにある。主に周南市から広島県西部を視野に、国は利用を年35万人とはじく。

 その1番機はいつ飛ぶのか。国は「本年度中」としか示していないが、地元経済界では工事の進み具合などから「12月だ」「いや11月の可能性も」などと、取り沙汰されている。岩国駅前の商店街が往復チケットを景品にしたイベントも計画するなど、地元も盛り上がろうとしている。

 当時の市長のメッセージがある。「独立日本の民間機を目のあたりにみることは待望久しかっただけに感無量」。高揚感あふれる言葉は「西日本地方の文化産業経済にひ益するところ多大」と続く。

 空路を核に周辺を巻き込んで振興を図る。この気概をいま一度かみしめたい。

(2012年5月15日朝刊掲載)

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