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社説・コラム

天風録 「水俣病」

 化学工場チッソで働く父は口や手のしびれを訴え、38歳で逝った。体が硬直して寝たきりだった漁師の祖父がすぐ後に続き…。熊本県水俣市、穏やかな不知火海を見下ろす水俣病資料館。先日訪ねると、語り部の吉永理巳子さん(61)が記憶をたどり始めた▲5歳で味わった家族とのつらい別れ。当時は工場排水に含まれるメチル水銀のせいだとは分かっていなかった。しかも、疑われながらチッソはなかなか排水を止めず、患者が増え続ける▲吉永さんは友だちを決して家に呼ばなかった。「奇病がうつる」。周囲の陰口が怖かった。こわばった心でそれから40年、口を閉ざし続けたという。原因が分かっても偏見は容易には消えなかったから▲さらに「あの人が何で認定されるの」。見舞金を得た被害者へのやっかみが地域のひびを広げていく。それは広島の被爆者や福島原発事故の避難者が抱く孤立感にも重なる▲特別措置法で救済を図る民主党政権に対し、すでに5万人以上が申請した。だが当時の居住地などで制限され、線引きがまた一つ生まれることに。「福島の子どもたちに水俣と同じ思いをさせないで」。吉永さんの声が耳から離れない。

(2012年6月6日朝刊掲載)

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