『潮流』 「黒い雨」の行方
12年6月14日
■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 宮崎智三
「午前十時ごろではなかつたかと思ふ。雷鳴を轟(とどろ)かせる黒雲が市街の方から押し寄せて、降つて来るのは万年筆ぐらゐな太さの棒のやうな雨であつた」
井伏鱒二の小説「黒い雨」。あの日、主人公のめい、矢須子が「黒い夕立」を浴びる場面である。気が付くと、黒い斑点が白い半袖ブラウスだけではなく、手などにもついていた。「水で手を洗つたが、石鹼(せっけん)をつけて擦(こす)つても汚れが落ちなかつた」「コールタールでもなし、黒ペンキでもなし、為体の知れないものである」…。やがて矢須子を襲う病魔を予感させるような表現が重ねられる。
当時、火の手から逃げながら、あるいは爆心地から遠い所で不気味な黒い雨にさらされた人たちは、どれほど不安な気持ちになったのだろうか。そんな想像を誘うような描写である。
気になるのは、雨を浴びた広島市内の場所だ。草津から京橋川に架かる御幸橋の西岸のたもとへ向かう船の上だった。
国が、激しく雨が降ったとして定めた「大雨地域」ではない。「小雨地域」でもない。ところが、市が2010年、アンケートなどを基に推定した雨域には含まれている。
井伏は「重松日記」という実在の資料を基に、小説を書いた。被爆後の惨状を生々しく描けたゆえんだろう。矢須子のモデルの女性が本当に黒い雨を浴びたのか、日記には記載がなく分からない。ただ、創作と切り捨てられないほど、描写がリアルなのは確かだ。
国は、市などの要望を受け、指定地域を広げるかどうか、検討会を設けて論議を進めてきた。来月にも結論が出るが、黒い雨を体験した人たちの思いとは程遠いものになりそうだ。
向こうの山に虹が出たら奇跡が起こる―。小説の主人公のように、祈るしかできないのが国の施策の現状だとしたら、やるせない。
(2012年6月14日朝刊掲載)
「午前十時ごろではなかつたかと思ふ。雷鳴を轟(とどろ)かせる黒雲が市街の方から押し寄せて、降つて来るのは万年筆ぐらゐな太さの棒のやうな雨であつた」
井伏鱒二の小説「黒い雨」。あの日、主人公のめい、矢須子が「黒い夕立」を浴びる場面である。気が付くと、黒い斑点が白い半袖ブラウスだけではなく、手などにもついていた。「水で手を洗つたが、石鹼(せっけん)をつけて擦(こす)つても汚れが落ちなかつた」「コールタールでもなし、黒ペンキでもなし、為体の知れないものである」…。やがて矢須子を襲う病魔を予感させるような表現が重ねられる。
当時、火の手から逃げながら、あるいは爆心地から遠い所で不気味な黒い雨にさらされた人たちは、どれほど不安な気持ちになったのだろうか。そんな想像を誘うような描写である。
気になるのは、雨を浴びた広島市内の場所だ。草津から京橋川に架かる御幸橋の西岸のたもとへ向かう船の上だった。
国が、激しく雨が降ったとして定めた「大雨地域」ではない。「小雨地域」でもない。ところが、市が2010年、アンケートなどを基に推定した雨域には含まれている。
井伏は「重松日記」という実在の資料を基に、小説を書いた。被爆後の惨状を生々しく描けたゆえんだろう。矢須子のモデルの女性が本当に黒い雨を浴びたのか、日記には記載がなく分からない。ただ、創作と切り捨てられないほど、描写がリアルなのは確かだ。
国は、市などの要望を受け、指定地域を広げるかどうか、検討会を設けて論議を進めてきた。来月にも結論が出るが、黒い雨を体験した人たちの思いとは程遠いものになりそうだ。
向こうの山に虹が出たら奇跡が起こる―。小説の主人公のように、祈るしかできないのが国の施策の現状だとしたら、やるせない。
(2012年6月14日朝刊掲載)