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社説・コラム

社説 リオ+20閉幕 原発リスク置き去りに

 20年前、ブラジルのリオデジャネイロは熱気に包まれていた。世界規模の環境悪化を食い止めようと各国の首脳が集った「地球サミット」である。

 「どうやって直すのか分からないものを壊し続けないで」。地球の将来を心配する日系カナダ人の12歳の少女の叫びが共感を広げた。国際社会が課題とする生物多様性条約、気候変動枠組み条約も、この会議がきっかけで産声を上げたといえる。

 今はどうだろう。地球温暖化に歯止めがかからず、漁業資源や森林面積は減少の一途にある。そんな現状を見ると、あの時の理念や危機感が置き去りになっているとしか思えない。

 地球サミットが開かれた同じ地に集い、その後の課題を検証するはずの「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」が、めぼしい成果もなしに閉幕した。

 各国の政府関係者ら約4万5千人が参加し、一応の合意文書は採択した。「持続可能な開発」の実現に向け、緊急に行動することを決意したという。

 だが中身は具体性に欠ける。何よりの問題は「グリーン経済」の工程表づくりが進まなかったことだろう。自然環境を破壊することなく、豊かな経済社会を維持していくためのプロセスである。

 石油など化石燃料から再生可能エネルギーへの転換、廃棄物の削減や再利用、環境分野の新産業創出による雇用拡大が柱となる。しかし先進国と新興国・発展途上国の対立で議論は失速し、各国が自主的に取り組む、との合意にとどまった。

 すべての国に環境保全の責務を負わせようとする先進国。経済成長の妨げになると反発する新興国や途上国。温室効果ガス削減などをめぐる対立の構図が繰り返された格好だ。

 なのに先進国の首脳のほとんどが欠席し、複雑な利害関係を調整しようというムードはなかった。「失敗だ」と、非政府組織(NGO)などから批判されたのも当たり前だろう。

 さらにエネルギー政策の在り方をめぐる議論が乏しかったことも納得できない。

 20年前の地球サミット当時は、チェルノブイリ原発事故の衝撃さめやらぬ時期。原発推進が叫ばれる状況になかった。しかしこの10年ほどの間に、温室効果ガス削減の「切り札」として原発導入を進める動きが活発化してきた経緯がある。

 だが福島第1原発事故を経験したにもかかわらず、日本以外では再び原子力に依存しようとの空気が強まっている。

 事故のリスクはもちろんのこと、人間の手に負えない放射性廃棄物が生じる原発は、地球サミットの理念になじまないはずだ。いまだに国際社会は、原発の負の側面を見て見ぬふりをしているように思える。

 今回、関連行事には避難生活を送る福島の被災者も駆け付け、「他国でも同じことが起きうる」と繰り返し訴えた。

 他方、日本の環境技術の提供や防災協力を表明した玄葉光一郎外相は、演説で原発事故には触れなかった。国際的な原発依存の流れに歯止めをかけるつもりは一切ないのだろう。

 とはいえ真のグリーン経済には再生可能エネルギーの推進しかないはずだ。日本はそのことをもっと強く国際社会にアピールしていくべきである。

(2012年6月25日朝刊掲載)

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