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社説・コラム

社説 東電事故調の報告書 責任逃れは許されない

 惨事を繰り返さない。そのための調査ではなかったのか。

 福島第1原発の事故について東京電力の事故調査委員会がまとめた最終報告書が、ひんしゅくを買っている。

 自己弁護に終始した内容と言わざるを得ないからだ。事業者としての責任感や真摯(しんし)な反省が伝わってこない。

 巨大津波への認識がその象徴である。報告書は従来の主張と同様に「想定した高さを上回る津波の発生」が事故原因と結論づけた。

 しかし、869年に東北を襲った貞観地震津波について調べた専門家が巨大津波が再来する可能性を警告していた。これについては、対策を取らなかったのは「国の指示がなかった」ためという。

 もちろん原発の安全規制を担った国に重大な責任がある。とはいえ、そのことが、対策を講じなかった東電を正当化する理由には決してならない。

 これでは自ら、原発を運転する能力に欠けていたと言っているのと同じではないか。原発の開発や運転技術で業界をリードしてきた立場であることを考えても、違和感が拭えない。

 事故後の対応も見過ごせない。報告書は、福島第1原発の当時の所長に首相官邸が直接電話したことなどが「無用な混乱を招いた。関係者は大いに反省すべきだ」と批判する。

 確かに官邸の対応も問題なしではなかろうが、責任を転嫁するような物言いは居直りとしか思えない。多くの国民は東電の初動や情報公開の仕方を十分だったとは考えていないはずだ。

 そもそも東電は、調査を第三者が客観的に検証するため、外部の専門家による委員会を別に設けていた。しかし「調査過程で意見を聞いた」とし、報告書には検証内容を具体的に記さなかった。これも理解できない。

 事故責任を認めれば、損害賠償や役員への株主代表訴訟で不利になると考えているのかもしれない。責任逃れのためなら、調査自体の意味がなくなる。

 政府の事故調査・検証委員会は昨年末の中間報告で、原子炉への注水の遅れや中断など東電の事故対応のまずさを指摘している。近くまとまる最終報告でも食い違いが際立つことは十分に予想される。東電はどう説明するのだろう。

 自らの都合ばかりを優先する姿勢は、ほかにもみられる。

 今後の経営改革をまとめた事業計画には、電気料金の値上げや、柏崎刈羽原発(新潟県)の2013年度中の再稼働を盛り込んだ。

 企業向けの電気料金を4月から値上げする際には、契約期間が途中の場合は企業側が断ることができるのに、きちんと説明していなかった。公正取引委員会が先週、「優越的地位の乱用につながる」として東電を注意したのも当然だろう。

 家庭用の料金引き上げについても既に国に申請している。利用者が納得できるよう説明を尽くすべきだ。

 来月下旬、東電には公的資金1兆円が注ぎ込まれ、実質国有化される。それは、全ての国民が株主になることに等しいと東電は認識してもらいたい。

 効率や経済性よりも国民の安全が第一である。そうした意識を全社で共有しない限り、原発の運転も任せられない。

(2012年6月26日朝刊掲載)

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