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社説・コラム

天風録 「上関誘致表明30年」

 宇部市の石炭記念館。大正時代の採掘のようすを伝える写真に見入った。太い丸太を押す着物姿の若い女性たち。地下で男たちが掘った石炭を引き上げるため、大きな仕掛けを人力で回している▲明治維新をけん引した長州。黎明(れいめい)期の主力エネルギー源だった石炭供給でも、先駆者だった。支えたのは過酷な現場で汗を流す人々。そしてリーダーたちは早くから、石炭はいつかなくなる、と唱えていた▲共存同栄―。「渡辺翁記念会館」に名前が残る炭鉱王は、地域とともに栄えることを経営哲学にした。採掘で得た収益を学校建設や新たな産業に投じる。今風にいえば、持続可能な、というところ▲戦後、採掘が幕を閉じても、工都の火は消えなかった。翻って国のエネルギー戦略。地域振興に、いかほどの哲学があっただろう。先にハコものありき。原子の力に頼りたい姿勢ばかり、目立ってはいなかったか▲それが破綻したとき、何が起きるか。東日本大震災は多くの犠牲を代償に、私たちにそれを気づかせた。もし時間を巻き戻せたら、と思う。山口県上関町が原発立地を誘致表明したのは、30年前のきょう。そこから出直すことが、かなうのなら。

(2012年6月29日朝刊掲載)

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