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社説・コラム

『論』 活性化の呪縛 地域の哲学 見いだそう

■論説委員 石丸賢

 原発の再稼働をめぐる論議に巻き込まれた地元住民から、決まり文句が聞こえた。「そりゃ不安だけど、地域の活性化には欠かせない」  活性化は、よほど捨てがたい旗印なのだろう。

 「地域は活性化するより、むしろ沈静化した方がよい」

 そう諭すのは雲南市木次町の佐藤忠吉さん。「食は健康と命の源」と、低温殺菌のパスチャライズ牛乳作りに日本で初めて取り組んできた。ことし92歳を数える。

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 佐藤さんの警句を、ジャーナリストの島津邦弘さんが近著「山里からの伝言」に書き留めている。本紙記者時代の1980年代半ばに手掛けた連載ルポ「新中国山地」の現場を再び歩き、思い巡らせたリポートだ。

 「沈静化」論の真意について、著者はあえて問いただしていない。教わるものではなく、地域に住むそれぞれが胸に手を当て、かみしめるべきだということだろう。

 支局勤務を含め、中国山地で10年ほど暮らした私にも思い当たる節はある。

 バブル崩壊後の90年代、活性化や都市交流をうたうイベントが取材先の町や村でばたばたと消えた。「△△の自然を食う会」といったたぐいの催しである。

 迎え支度に追われる地域住民は年ごとに老いを深め、減っていく。後に残るのは、ごみと疲れだけ。マンネリも手伝って、人々から笑顔や心の張りを奪っていた。

 片や、客の側は車で来て帰るだけ。払った金に見合うもてなしを求め、中にはお土産に料理を包めと無理強いする人間まで現れる始末。「どこが交流か」と漏らす、住民の深いため息を覚えている。

 活性化は詰まるところ、都市へのごますり競争になりかねない。己を見失わず、でんと構えて生きようというのが沈静化論なのではないか。

 「もっと早く、もっと多く、貪欲に」。受験戦争をくぐれば今度はモーレツ会社員にと、競争に駆り立てられる。そんな高度経済成長の行き着いた先が、都市集中の社会であり、それを大量の電力供給で支える原発だ。

 立地地元には代わりに、雇用や交付金の数々がもたらされてきた。東京電力福島第1原発の場合、関連企業は約400社を数えていた。下請けから孫請け、ひ孫請けと、そのピラミッドは7、8層にも及んだと聞く。

 原発にくっついていれば、暮らしのめどが立つ。安全対策の落ち度や監視行政の緩みは多少のことなら目をつぶるし、選挙で票も出す―。そうした構造が支える政官業の「鉄の鎖」は、高度成長の後も引きずってきた。

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 東電は福島第1原発事故の賠償負担に耐えきれず、公的資金1兆円の注入、つまり実質国有化を受け入れざるを得なくなった。

 過酷事故が起きてしまえば、原状回復など、ほど遠い原発の現実が突き付けられている。損害賠償の責任さえ、まともに自力で取れないような事業をこれ以上、放置していいものだろうか。

 来年で第1次石油ショックから40年になる。当時、英国の経済学者の著書が世界中でもてはやされた。「スモール・イズ・ビューティフル」

 日本語版では「人間復興の経済」と訳された。人の手でコントロールの利く、いわば身の丈に合った技術を唱える内容は再生可能や持続可能といった、今に至る理念に脈々と受け継がれている。

 「原子力ショック」とも呼べそうな今、日本社会は道なき道に分け入ろうとしている。新たな時代に、何より命のことをおもんぱかる、地域の哲学を見いだしたい。

(2012年7月5日朝刊掲載)

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