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社説・コラム

書評 『複数の「ヒロシマ」』 被爆の言説 戦後を検証

 「ヒロシマ」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。「反戦」「平和」や、昨年来高まる「反原発」と重ね合わせた言説も今日のような形で起こったわけではない。本書は、被爆地の試行錯誤にとどまらず戦後の変容も浮かび上がらせる。

 メディア論や表現論が専門の気鋭の研究者らによる学術書だが、共同研究の利点を生かした多角的な考察からなる。新聞報道や地元の同人誌、映画、テレビ番組、漫画、観光と、被爆体験や発信をめぐる言説を豊富な事例とともに検証する。広島出身の漫画家中沢啓治さん、こうの史代さんのインタビューも収録する。

 中でも、広島修学旅行を扱った山口誠関西大教授の論考は知見と示唆に富む。広島でも忘れられかけた2人の呼び掛け(語り)を照らし、今日も続くヒロシマの課題を問い掛けている。

 一人は1970年代に修学旅行のモデルをつくった江口保氏。東京の中学教諭だった氏は晩年は広島に移り住み、手弁当で全国からの修学旅行を支援した。長崎で被爆した自身の思いも込め、継承を願うあまり「体験絶対主義」にこだわり、孤立感も深めた。

 英文学者で広島大教授だった松元寛氏は、軍都廣島の歴史も見つめ、「被爆体験を現代の状況のなかに位置づける」「追体験」を説いた。母を原爆で奪われた元学徒兵でもあった。

 2人の語りが交わらないまま若い世代のヒロシマ学習は減り続ける。原爆資料館への小・中・高の団体者数は、80年代は約56万人を数えたが2010年度は約30万人となった。

 論考が言うように、江口氏の行動に学び、松元氏の提唱を受けとめることは、「『ヒロシマ』をはじめとする戦争体験の風化と継承を考え」「さらなる実践と思想を構想する」契機となるだろう。

 広島市は被爆者の体験を語り継ぐ「伝承者」の育成を始める。ヒロシマを語ったり関心を寄せたりすることは、複数ある未来の選択でもあると教えてくれる学術書だ。(西本雅実・編集委員)

青弓社・3015円

(2012年7月8日朝刊掲載)

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