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社説・コラム

天風録 「口伝」

 法隆寺に「鬼」と呼ばれる宮大工がいた。故西岡常一さんだ。修繕の材料選びから木の組み方まで、昔から現場で受け継ぐ技を頑固に守った。文献を調べた学者があれこれ注文しても「あんたらは理屈言うてなはれ」とはねつけたそうだ▲若い時分は棟梁(とうりょう)の祖父の見よう見まね。長じてやっと口伝えされた秘訣(ひけつ)の一つが「木組みは人の心組み」である。図面を引いて道具を使うだけではなく、周りの熱い思いを束ねてこそ―。当たり前に思えて奥が深い▲心を一つにする点では、こちらの口伝の試みも相通じよう。原爆の惨禍の「伝承者」修業が今週、広島市で始まる。見習い先は被爆証言者。つらい記憶や生きざまを3年がかりで聞き、本人に代わって語り継ぐ。全国から弟子入り志願が137人というから頼もしい▲師匠の側も張り切る。被爆し最愛の妹も失った細川浩史さん(84)もそう。書き残したもので伝わるかと、かねて案じていたという。「自分の心が生き続けるなら安心」▲樹齢千年の木は技と知恵で千年持つ。西岡さんの言葉だ。被爆者の思いも果てしなく生かしたい。核廃絶という悲願が、いつしか本で読む「理屈」にならないためにも。

(2012年7月10日朝刊掲載)

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