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社説・コラム

『潮流』 ニッポンの嘘

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 宮崎智三

 「敵機動部隊は昨日来東方に向け敗走中にして、わが部隊はこの敵に反復猛攻を加へ戦果拡充中なり」

 1944年10月、日本軍が米軍を迎え撃った台湾沖航空戦のさなかの大本営発表である。既に航空母艦7隻を撃沈した、と勇ましい報道が続く。

 実際は米軍にほとんど損害はなかった。負けて撤退しても「転進」と称するなど嘘(うそ)の発表は、太平洋戦争末期には日常茶飯事だった。

 例えば米空母のレキシントンは6度、サラトガは4度撃沈されている。あまりにずさんで、「サラトガが沈んだのは今度で確か4回目だったと思うが」と昭和天皇も軍部に苦言を呈したほどだ(小谷賢「日本軍のインテリジェンス」)。

 そんな「大本営発表」体質は変わったのか? 「都合のよいように相手の話を解釈」「都合の悪いことは無視」…。福島第1原発事故の直後、安全を強調した政府や専門家の言葉が、そうだったのかもしれない。

 そもそも、戦争に負けたのに「終戦」と偽ったことから戦後の嘘が始まった。そう指摘してきた報道写真家もいる。福島菊次郎さん。下松市生まれの91歳で今は柳井市に暮らす。

 被爆者や戦争孤児、70年安保闘争、公害…。常に弱者に寄り添いながら、真実は何かカメラでえぐり出すような仕事を続けてきた。

 最近は事故後の福島を訪れ、「かつてのヒロシマと重なる」と精力的に撮影して回った。そんな姿も含め、波乱に富んだ人生を描いたドキュメンタリー映画「ニッポンの嘘」が8月、広島でも封切られる。

 鋭い告発は被爆地にも向けられ、時に心が痛む。平和都市ヒロシマは日本の原罪と嘘を隠蔽(いんぺい)する伏魔殿として建設された、との言葉には多くの反論もあろう。

 ただ、あらためて戦後を見つめ直したい人には、何か手掛かりが得られる映画である。嘘ではない。

(2012年7月11日朝刊掲載)

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