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社説・コラム

社説 政府事故調の最終報告 真相究明に一層努めよ

 東京電力福島第1原発事故の原因をすべて「想定外」の津波に負わせる論法が通用しなくなったのはなぜか。政府の事故調査委員会が最終報告であらためて解き明かしている。

 最先端の知見でも予測できないような事故が起きたのではない。財源などを理由に、企業や行政は確率の低い事態を除いて対策を講じた。その「線引き」を超えた事故だから、備えが不十分だったというほかない。

 とりわけ東電に大津波への緊迫感と想像力が欠けていたとの指摘は当然だろう。

 被害が広がるのを防げなかった政府の対応も問題にする。

 例えば寝たきり患者が多く入院していた病院の避難誘導では関係機関の連携が不十分だったため、救出が遅れた。

 被曝(ひばく)の影響を抑えるヨウ素剤の服用でも、原子力安全委員会が丁寧に助言していれば現場の混乱を防ぐことができた。

 事故前後の事実を列挙して反省すべき点を示す論法は、それなりに説得力を感じさせる。

 半面、事故原因を徹底して究明するという視点が十分かどうか疑問が残る。規制当局と電力会社が長年「甘い想定」に安住できたのはなぜだろう。双方の緊密な関係を含めて掘り下げるべきだったのではないか。

 事故直後の東電の対応にしても、最悪の事態を免れた福島第2原発と対比する形で、第1原発での現場作業の不備を批判している。

 読みようによっては「同じ事故を繰り返さないためだけの手引」とも受け取れる。

 「失敗学」で知られる畑村洋太郎委員長は調査に当たり「責任は追及しない」と明言していた。かえって事故の真相究明を妨げるとの持論からだろう。

 一方で、これだけの大事故なのに誰も責任を問われないようでは、それこそ同じような事故が再び起きる恐れがある。

 米国での司法取引のように、責任を不問にすることで原因を突き止めることができたといえるのか。検証が必要になろう。

 ともあれ、先の国会事故調や東電の社内事故調と合わせ、これで調査報告が出そろった。

 地震そのものの影響で原子炉が破損したのか。あるいは放射能の拡散を予測するシステムを有効に活用できたか。こうした重要な論点で、各調査報告の結論が異なっている。

 事故からまっとうな教訓を得るには、それぞれの調査に当たった専門家らが議論を尽くして事故原因についての認識を共有する必要がある。

 東電も政府や国会の報告に照らし自らの調査結果の見直しも検討するという。もはや当事者としての弁明とは決別して、社外の有識者と協力し真相究明に力を注いでもらいたい。

 規制当局や電力会社の責任をあいまいにすることなく、国会か政府内に事故の調査を続ける機関を設けてはどうか。

 世界に通用し、100年後の評価にも耐える知見を確立するには国を挙げての構えが要る。過酷な事故を体験した日本の使命というべきだろう。

 放射能に汚染された事故の現場は今も直接立ち入りできない状態である。継続調査も長期戦を覚悟しなければならない。

 それだけに地震列島に50基もの原発が立地してきた歴史をたどって検証することもできる。

(2012年7月24日朝刊掲載)

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