×

社説・コラム

『潮流』 雨を見たかい

■報道部長 高本孝

 「雨を見たかい」。米国のロックバンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)の代表曲だ。世に出て40年以上になるが、日本のCMなどでも流れ、歌い継がれている。ファンならずとも、印象的なサビを口ずさめる人は多かろう。

 彼らが歌う「晴れた日の雨」。実は、ベトナム戦争で米軍機が降らせたナパーム弾の暗喩との説がある。当のCCR側の意図はともかく、ベトナムの村々を焼き尽くす自国の所業を批判した反戦歌、という見方が根強い。実際、発売後に米国で放送禁止となった。

 あの戦争で、ベトナムの人たちは米軍が降らせた別の「雨」を見ている。猛毒のダイオキシンを含む枯れ葉剤である。解放戦線や北ベトナム軍が潜むジャングル、田畑を枯らす名目で散布した。

 病気や障害、異常出産などの痛ましい被害、進まぬ救済の実態を、6月からの連載「枯れ葉剤半世紀」で本紙記者が報告した。

 敵味方を問わず、米国は「兵器ではない」「人畜無害」と宣伝した。後年になって相次いで表に出てきた被害者たちは、ベトナムだけで300万人とされる。

 広島には原爆投下直後、「黒い雨」が降った。その指定地域の拡大に、厚労省の検討会は今月、後ろ向きなスタンスを示した。あの日、黒い雨を見た多くの人の訴えが届くかどうか―。67年目の夏の「政治判断」を注視したい。

 ナパーム弾、枯れ葉剤、黒い雨…。人為が降らせる雨は、長く過酷な災厄をもたらす点で共通するようだ。そして昨年の福島第1原発事故は、放射性物質という「見えない雨」を降らせている。

 米海兵隊岩国基地には、異形の兵員輸送機オスプレイが運び込まれ、中国山地での低空訓練もにらむ。梅雨が明けた夏空を仰ぎ見ても、心が晴れない。

(2012年7月26日朝刊掲載)

年別アーカイブ