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社説・コラム

『潮流』 「神隠し」に遭う前に

■論説委員 田原直樹

 どきっとさせられる詩に出会うことがある。福島県南相馬市の若松丈太郎さんの「神隠しされた街」はその最たるものだろう。

 原発事故で避難を命じられたチェルノブイリ近隣地域を訪ね、詠んだ詩。人々がこつぜんと消えた廃虚をさまよい、描写している。うすら寒い光景は「神隠し」の言葉がぴったりくる。

 さらに詩人は半径30キロゾーンを自宅近くの福島原発に置き換えてみる。双葉町、大熊町、浪江町…と。

 「私たちが消えるべき先はどこか/私たちはどこに姿を消せばいいのか」

 1994年の作品である。チェルノブイリ事故とその後をつづった「叙事詩」と言えるだろう。

 すでにフクシマを警告していた。「予言詩」とも呼びたくなる。

 先月刊行された「脱原発・自然エネルギー218人詩集」(コールサック社)は、国内外の作品を集めた。第1章「予知されていた悲劇」には、3・11以前に原発の危険性を多様に表現した19編が載り、「神隠しされた街」もある。

 悲嘆や告発を込めた作品も収録している。痛みを共有し、進むべき道を問い掛けてくる。詩という表現の力をあらためて思う。

 先月、政府の決定で再び原発は動き始めた。目をつぶり耳をふさぎ、等閑視することもできるが、私たちも考えを表したい。もちろん、詩でなくてもいい。

 2030年の原発比率について意見聴取会が開かれている。郵送やファクスなどでも声を届けることは可能だ。また国会周辺をはじめ全国でデモが行われている。

 若松さんの「予言詩」は後半でささやきかける。

 「神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない/私たちの神隠しはきょうかもしれない」

 さまざまな形で声を上げよう。「神隠し」に遭う前に。

(2012年8月4日朝刊掲載)

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