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社説・コラム

社説 被爆地と福島 復興の物語を伝えよう

 草木も生えないと言われた広島も、今のように復興できたのだから―。福島第1原発事故で古里を追われた人たちから、何度も聞いた言葉である。

 廃虚から立ち上がり、復活した被爆地の歴史を自分たちの支えとしているのだろう。

 あすの平和記念式典は、広島と福島がさらに絆を深めるきっかけになるかもしれない。

 平和宣言を読み上げる松井一実広島市長。被災者の姿が67年前のヒロシマと重なるとして、「私たちの心は共にある」との思いを伝えるという。被災地からは全住民が今も避難する浪江町の馬場有町長が出席する。

 どのように手を携えればいいか、あらためて考えたい。

 福島県の16万人が、いまだ各地で避難生活を送る。国による除染も思うように進まず、大半の地域で帰還のめどが立っていない。復興どころか「復旧以前」なのが現実だろう。

 だが地元では全国的な関心の低下を危惧する声もあるようだ。現に避難所に足を運ぶボランティアの数も減っている。

 広島県内にも福島から300人以上が避難中だ。惨禍を経験した被爆地だからこそ、寄り添う気持ちを強く持ち続けたい。

 むろん既に多くの支援の取り組みがある。夏休みに被災者を広島に招き、交流する活動などが市民レベルで地道に続く。

 一方、広島大大学院は放射線災害からの復興に携わる人材育成のプログラムを、10月から開講する。こちらは被爆地の大学ならではの試みといえる。

 放射線の不安に直面する住民のケアも欠かせない。全町民に独自の放射線健康管理手帳を発行する浪江町は、被爆者援護の蓄積がある広島市などとの連携を望んでいる。官民一体の支援を検討していくべきだ。

 さまざまな形で被災地にエールを送り、心を一つにしていく姿勢も求められる。

 福島の多くの人の願いが「脱原発」であろう。片や広島はどうか。これまで原発と正面から向き合ってきたとはいえまい。今こそ手を携え、国にエネルギー政策の見直しを求めていく時期ではなかろうか。

 広島がいかに復興したかの物語をつぶさに伝え、勇気を出してもらうことも意味がある。

 被爆後、中心部の再生がすぐに進んだのが広島だ。広範囲な汚染が長期的に続く福島との単純比較はできないかもしれない。しかし絶望から立ち直った復興の精神を伝えることで、大きな力になれるだろう。

 本紙はこの夏、連載「復興の風」を展開した。被爆後から1950年代にかけ、市民と街が活気と明るさを取り戻していくさまを紹介するためだ。

 読者からは数多くの写真や情報が寄せられた。「大震災が起きたからこそ私たちの復興にも光を当てたい」「少しでも被災地の役に立ちたい」。そんな言葉とともに。

 原爆資料館には、市民が焼け跡の炭で「復興」という文字を書いた旗が保存されているという。さらに広島市公文書館なども復興期の写真は少なからず所蔵するが、十分に活用しているとは言い難いようだ。

 家庭に眠っているはずの復興期の資料をもっと掘り起こせないだろうか。そして福島で巡回展を開くなどすれば、大きな共感を呼ぶに違いない。

(2012年8月5日朝刊掲載)

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