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社説・コラム

天風録 「麦のように」

 冬、芽を出す麦は霜や雪に耐え、根を張って伸びる。まっすぐに。踏まれても、くじけない麦になれ―。原爆に焼かれて死んだ父の言葉を胸に、前を向いて廃虚を生き抜く少年。漫画「はだしのゲン」の主人公、中岡元だ▲怖くて、かわいそうで、気持ち悪くて、ページを繰る指が震えた。それでもめくる。小学生の頃、初めて読んだ衝撃は忘れられない。多くの子ども、いや大人も同じ経験をしたはずだ。「青麦ゲン」のたくましさに引かれながら▲上京して漫画家になった中沢啓治さんは当初、被爆を隠す。知られると「放射能がうつる」といって差別された。先月の本紙連載「生きて」で振り返っている。福島の原発事故で人々がまた同じ目に遭った、とも▲原爆を描くと決めたのは母が死んだとき。荼毘(だび)に付すと骨は小片ばかり。「おふくろの骨まで奪われた」。送り出したゲンは今、約20言語に訳され世界中を駆ける。だが3年前、恐れていたがんを患う。いつまでかと弱気もよぎる▲原爆資料館東館で開かれている原画展。「福島の地にも麦をまきたい」。感想ノートにはそんな言葉も記されている。まだまだ走れ、ゲン。あちこちに芽吹け。

(2012年8月6日朝刊掲載)

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