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社説・コラム

『この人』 ことしの広島市の平和宣言に被爆体験談が引用された 津江本アヤノさん

「風化させぬ」 証言に力

 人前で被爆体験を語り始めたのは2年前。原爆資料館(広島市中区)で出合った、ある女学生の写真と日記帳がきっかけだった。

 おかっぱ頭でほほ笑む女学生の遺影に、爆心地近くで見た光景が鮮明によみがえった。胸の奥に閉じ込めていたはずの、倒れた家屋の下敷きになって息絶えていた少女の姿―。

 少女と写真の女学生は別人に違いない。でも話し掛けずにいられなかった。何か思うことがあったら教えて、と。「あの少女が生きた証しを伝えたい」。85歳の夏だった。

 戦時中は陸軍運輸部(南区)に勤務した。原爆投下時は、休暇で広島県山県郡の実家にいた。投下翌日に広島市に戻ると、にぎやかな街並みは消えていた。焼け落ちた路面電車の電線を頼りにたどり着いた中区榎町の下宿先。瓦だけが残っていた。相生橋では隊列を組んだまま兵隊が死んでいた。そしてあの少女も。

 「一瞬で広島を地獄へと突き落とした原爆を恨んだ」。市が平和宣言に引用する体験談を募集しているのを知り、街が、暮らしが奪われた様子を一気に書き上げた。

 「被爆者の記憶を風化させたくないとの一心だった」という。証言活動にも力が入る。市が7月から始めた体験証言者の育成事業に参加、2年間の研修を積む。87歳の挑戦は家族の応援が支えだ。

 6日、市の平和記念式典に参列し、自らの体験が盛り込まれた平和宣言を聞く。「世界へ発信される平和宣言。多くの人の心に響いてほしい」。安芸区で長男夫婦と孫夫婦、ひ孫2人の4世代計7人で暮らす。(胡子洋)

(2012年8月6日朝刊掲載)

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