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社説・コラム

社説 ヒロシマ67年 「核の時代」をどう生きる

 原爆の日を前に、本紙の広場欄には今年も被爆者や遺族から多数の投稿が寄せられた。一つ一つに目を通せばまざまざと、今なお決して癒えることのない怒りや悲しみが伝わってくる。

 忘れてはならない。次の世代に語り継がねばならない―。何より心に染みるのは、そうした投稿者の使命感だ。しかも年々強まっているように思える。

 67年前のきょう午前8時15分、米国が投下した一発の原子爆弾は、あまたの命を奪い、まちを焼いた。筆舌に尽くせぬ惨禍を生き延びた人たちも、目に見えぬ放射能の脅威におびえ続けた。

 そうして私たちは今、あの日から始まった「核の時代」を生きている。

 歳月は記憶を風化させていく。そうさせてはならないことを「3・11」が教えてくれたのかもしれない。核には兵器と原発という二面性があるものの、放射線被害のリスクがある点では何ら違いはない現実をあらためて突きつけたからだ。

 私たちは今こそ被爆体験を語り継ぐ意味に正面から向き合うべきではないか。そして、ほかでもないヒロシマの地からいま一度、核の時代を問い直す営みを再スタートさせなければならない。

 そもそも核と隣り合わせで生きていく限り、安心も安全も確実なものにできないのは自明であろう。

被爆者の老い

 被爆者の平均年齢は78歳を超えた。被爆者健康手帳を持っているのは、海外で苦難の人生を歩む人たちを加えても21万人余り。37万人台だった1980年前後に比べれば半数近くになった。

 それでも街のそこここに、あの日の記憶は息づいている。ただ、耳をそばだてれば聞こえるささやきも、聞く気持ちが伴わなければ何も響いてこない。

 問題は手帳所持者の多寡だけではあるまい。きのこ雲の下で何があったのか。戦争体験もない世代がたやすく実感も想像もできるとは考えにくい。なのに聞く側に「もう分かっている」という安易な気持ちはないだろうか。

 被爆者の体験を受け止め、周囲や次の世代に語り継いでいく。被爆者に代わって発信していく。それを怠るとき、気の遠くなるほどの歳月を経たあの日は忘れ去られてしまう。若い世代はもっと焦燥感にかられてほしい。

 平均年齢でいえば今の被爆者はあの日、11歳だった。年端もいかないころに肌を焼かれ、肉親や友を奪われた。先行きの不安と放射能の恐ろしさに眠れない夜を重ねた。同じ世代であればなおさら、大切な物を失うつらさを自分の身に置き換えることができるはずだ。

抑止論の矛盾

 松井一実広島市長が昨年に続いて平和宣言に被爆証言を引用するのも、市が被爆者に代わって証言する「伝承者」の養成を試みるのも、体験風化への危機感にほかならない。このところ重い口を開き始めた被爆者も少なくない。

 もちろん、あれだけの体験だからこそ口にしたくない被爆者がなお多いのも当然だ。それでも若い世代に話してもらえないだろうか。あるいは少しずつでも手記をしたためてみてはどうだろう。

 「子や孫には自分たちと同じ目に遭わせたくない」。全ての被爆者に共通する思いこそ、少しずつではあれ地球上から核兵器を減らし、核戦争を食い止める「平和の砦(とりで)」を築く力となった。

 一方、国際情勢が甘い状況にないことも明らかだ。東西冷戦のころには想像すらできなかった戦略核兵器の削減は確かに進む。だが保有国はどこも、核攻撃の能力を完全放棄すれば自国は危うくなるという思考にとらわれたままだ。

 日米同盟もその呪縛から逃れられないでいる。在日米軍の再編に当たり日米両政府は米国の核抑止力について「日本の防衛力を補完する不可欠なもの」と位置付けたことを忘れるわけにはいかない。

 被爆国が核兵器廃絶を唱えながら米国の「核の傘」に頼る。そうした矛盾を招く根源的な要因が核抑止論にあることは言うまでもないだろう。言い換えれば、そこを変えない限り、オキナワもイワクニも変わらないのだ。

 核兵器そのものを絶対否定するしか、廃絶への道は描けない。とすれば、核兵器禁止条約の実現に向け、市民社会も含めて知恵を絞り、行動に移さなければならない。その先頭に立つ責務はもちろん、被爆地と被爆国政府にある。

脱原発依存へ

 もう一つ、ヒロシマの役割を浮かび上がらせたのが昨年の「3・11」といえよう。被爆国が国策として進めた平和利用が、新たなヒバクシャを生んだ。

 被爆地をいっそう複雑な思いにさせるのは、原発事故の被災者に浴びせられる差別や偏見である。それは医療費の無料化などをめぐり、被爆者が受けてきた風当たりと通じるものがある。

 そうした恨み、つらみを「核と人類は共存できない」との言葉に置き換えて訴えてきたのがヒロシマだ。私たちはその思いを受け止め、フクシマと心を通じ合わせながら、この国の脱原発依存が違う方向へとねじ曲がらないよう、行方を監視していくしかない。

 きょうの平和記念式典。野田佳彦首相が出席する。犠牲者を哀悼する列に、2年ぶりのルース駐日米大使らも加わる。

 為政者たちこそ、ヒロシマに刻まれた「8・6」の記憶と被爆者の肉声に耳を傾け、「核のない世界」を築くとあらためて約束してもらいたい。

 「核の時代」を終わらせる宣言は、その始まりの地こそふさわしい。

(2012年8月6日朝刊掲載)

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