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社説・コラム

天風録 「御幸橋」

 67年前の8月6日当日、きのこ雲の下の惨状をとらえたのは元中国新聞カメラマンの故松重美人さんが写した5枚だけだ。負傷者であふれる広島市中区の御幸橋西詰めを収めた1こまには、セーラー服を着た少女の後ろ姿が▲「私です。13歳でした。大やけどをした父の傷口に、油を塗る応急処置を施してもらっていました」。原爆の日のきのう、安佐南区の山本小に河内光子さんの姿があった▲小学生たちに体験を明かすのは、80歳にして初めてという。緊張で午前3時半に目が覚めた。「熱かったですか」「どんなことを考えて逃げましたか」。競うように手を挙げ、聞いてくる児童のまなざしが心をほぐしてくれた▲自分より被爆体験をうまく語れる人はたくさんいると思う。人前に出るのは苦手。それでも今回、あの日の記憶を伝えようと心に決めた。河内さんの半生を本にまとめた縁で、山本小の大西知子先生に背中を押されて▲御幸橋の写真の中では数多くの人が苦しんでいる。「私のような生き残りが、ほかにもいらっしゃらないのでしょうか」と河内さん。被爆から67年を経てなお語られない体験。まだ被爆地にはたくさん埋もれているはずだ。

(2012年8月7日朝刊掲載)

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