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社説・コラム

社説 8・6と首相 問われる原発ゼロの道

 当時13歳だった被爆者の証言。遺体の収容作業に当たったという。「覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ」。今年の平和宣言の一文である。

 被爆67年。私たちは原爆の恐ろしさを理解しているつもりでも、まだまだ表面にすぎないのだろう。松井一実広島市長は昨年に続き、被爆証言を宣言に引用した。被爆者の絶望や苦悩も全て引き継いでいく。生々しい表現を引用したところに、市長の意志が感じられる。

 平和宣言には、福島第1原発事故によって放射線被害におびえる福島の人々へのメッセージも盛り込んだ。「必ず訪れる明日への希望を信じてください。私たちの心は、皆さんと共にあります」

 言葉に偽りはないだろう。ただ福島の地に、この思いが実感として届いただろうか。

 原発の是非への言及は避けている。「市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立してください」と言うにとどめた。フクシマに寄り添うならば、一歩踏み込んで脱原発依存に対する国の姿勢を問うてほしかった。物足りなさを感じた参列者もいただろう。

 真意がつかめなかったのは、野田佳彦首相である。平和記念式典に参列し、あいさつの中でこう言った。「脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指します」と。

 「脱原発依存」という言葉を確かに使ってはいる。だが実際は反対方向へ動きだしているのではないだろうか。野田首相は「自分の責任で判断した」と、原発再稼働にかじを切った。

 今、中長期のエネルギー政策が大詰めを迎えている。式典後の会見では「将来、原発依存度をゼロにする場合にはどんな課題があるのか閣僚に指示する」と述べた。遅きに失した感はあるが、この際、徹底的に課題を洗い出してもらいたい。

 首相は近く、脱原発を求め官邸前で抗議行動を呼び掛ける団体の代表と面会する予定だ。同じ日に、原発再稼働を推進する経済団体幹部とも意見交換するという。

 国の場当たり的な姿勢とは逆に、脱原発依存を望む世論のうねりが生じているのは確かだろう。それは原発事故から2回目の原爆の日にも、多くの人が感じ取ったに違いない。

 冒頭の被爆体験を寄せたのは府中市の中村博さん(80)。きっかけは、原発事故と再稼働への動きだったという。「今こそ声を上げなければ。時がたつと忘れてしまう」。使命感が言葉に宿っているようだ。

 フクシマの被災者も「できること」を懸命に探していた。原発の是非を問う国民投票の実施を求め、原爆ドーム前で署名を呼び掛けていた。「原発反対と言うだけでは何も変わらないから」。昨年9月からほぼ毎日、ここに立っているという。

 「核と人類は共存できない」と、ヒロシマは核兵器の廃絶を訴えてきた。では核の平和利用をどう考えるのか。国内外から、広島市民一人一人が問われている気がしてならない。

 大いに議論する時ではないか。フクシマの思いを受け止め、代弁していく―。被爆地の新たな使命をかみしめたい。

(2012年8月7日朝刊掲載)

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