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社説・コラム

今を読む 九州大大学院准教授 直野章子 被爆の記憶遺産

核被害 受忍許さぬ社会へ

 7月15日、「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の集会が、東京都内で開かれた。10代から80代までという幅広い年齢層の参加者は350人を数え、東京電力福島第1原発事故後の核問題や被爆者問題に対する関心の高まりをうかがわせた。

 「継承する会」は昨年12月、被爆者、弁護士、医師、研究者たちが中心となって発足し、私も理事として関わっている。活動目標は、被爆者や遺族の手元に残る被爆体験や被爆者運動に関する資料の発掘や収集、整理▽既存の機関とのネットワークづくり▽原爆資料や被爆者運動に関する研究会の開催▽収集した資料を広く発信し活用する拠点としての「平和資料センター」設立―などがある。

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 「被爆体験の継承」の重要性は長年叫ばれてきた。被爆地では原爆資料館や国の原爆死没者追悼平和祈念館などの公的機関だけでなく、民間レベルでも数多くの取り組みがなされてきた。

 にもかかわらず、なぜ今「継承する会」なのか。

 被爆者の平均年齢は78歳を超え、長年被爆者運動を担ってきた人が次々と他界し、被爆時の記憶がほとんどない世代が運動を担わざるを得なくなっている。貴重な資料の散逸を防ぎ、被爆体験や運動の記録をいかにして次代に引き継いでいくかが、いよいよ喫緊の課題となっている。

 また、昨年の原発事故を受けて、核がもたらす被害について注目が集まっている。被爆証言の際にも聴衆から放射線被害、とりわけ内部被曝(ひばく)について質問が投げかけられることが多いという。

 確かに原発事故の被害者が被爆者から学べることは多々あるだろう。しかし原爆被害は放射線による健康被害だけではない。家族を失った悲しみ、助けを求める人を救えなかった罪責感、脳裏に焼きついた地獄の記憶などは「心の傷」として被爆者たちの胸に刻み込まれている。

 いつ病魔に襲われるか、次代に影響が出るのではないかという不安を抱え、差別と偏見にさらされる中、絶望にのみ込まれそうになりながらも、原爆後を生き抜いてきた。こうした被爆者の「生」は、原発事故に限らず、東日本大震災を生き延びた人にとっても一つの指針となるのではないだろうか。

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 原爆被害とは何なのか。それは、決して自明のことではなかった。被害者たちが忘れたい記憶と向き合い、原爆後の痛苦の生を言葉にしながら、協力者たちとともに明らかにしてきたのだ。それは、被害に対する補償要求の基盤となっただけではない。「この苦しみを、二度とだれにも味わわせたくない」という強い思いが、被害と向き合う原動力となり、被害をもたらした責任の追及と再発防止へと被爆者たちを動かしてきた。

 被爆者に対し、日本政府は「戦争という国家の非常時には、国民は被害を耐え忍ぶもの」という「戦争被害受忍論」で応えてきた。空襲被害者など他の戦争被害者たちに援護策が波及しないよう、原爆被害を放射線による健康被害に矮小(わいしょう)化し、それさえも過小評価してきた。

 しかし被爆者たちは政府の方針を「仕方がない」と受け入れはしなかった。むごい死を強いられた死者たちが安らかに眠れるよう、現在そして未来を生きる者が戦争被害を受忍させられることがないよう、原爆被害に対する償いを制度として確立し、核兵器を廃絶するよう要求してきた。

 核の軍事利用だけでなく、産業利用に際しても、一部の人たちが核被害を受忍させられていることが、今回の原発事故であらためて明らかになった。被害の受忍を許さない社会をつくっていくうえで、被爆者の闘いの軌跡から得るものは大きい。

 「記憶遺産」は単なる資料や記録の集積ではない。被爆者の生きざまと運動の歴史を、核時代を生きる者たちの指針とすることができるのか否か。それは、私たち「被爆者の後」を生きる者に委ねられている。「継承する」主体は私たちなのだ。さまざまなアイデアを持ち寄り、「継承する会」の活動に参加していただきたい。

九州大大学院准教授 直野章子
 1972年兵庫県西宮市出身。米アメリカン大卒業。カリフォルニア大大学院で社会学博士号取得。広島の原爆で祖父を亡くす。著書に「被ばくと補償」など。ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会のホームページはhttp://www.kiokuisan.jp

(2012年8月7日朝刊掲載)

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