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社説・コラム

『潮流』 アメリカという光

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 宮崎智三

 ベトナム戦争中の1965年、米国を訪れたカナダのピアソン首相が大学で演説し、米国による北ベトナムへの空爆を批判した。すると、翌日の昼食時、招いてくれたジョンソン米大統領にコートの襟をつかまれ、約1時間もつるし上げられた。演説が大統領を激怒させたためだ。

 カナダではよく知られた話らしい。元外交官の孫崎享(うける)氏が近著「戦後史の正体」で紹介している。

 圧力をかけられても、相手が大国であっても、言うべきことは言い、国民もそれを認める。ピアソン氏は没後40年の今も、国民の尊敬を集めているそうだ。

 2003年、米ブッシュ政権が国際社会の反対・慎重意見に耳を貸さず、イラク攻撃に突っ走った時も、カナダが反対を貫いたことは記憶に残っている。

 日本はどうだろう―。第2次世界大戦中は、軍という威光に政治家も国民も、追随させられていた。敗戦後は、さらに強力な米国が取って代わった。

 占領が終わっても、冷戦下、米国と角突き合わせていたソ連が崩壊しても、米軍基地は依然、国内に残っている。それが、何よりの証拠だろう。しかも負担は沖縄に集中している。

 戦後間もないころの政権の方が、大国にもの申す気概に満ちていた。在日米軍の12年以内の撤退や、維持費の日本負担大幅減額などを提案したことがあった。1960年代末には、外務省でひそかに米軍基地を少しずつ縮小・整理する案も考えていたようだ。

 しかし現実を大きく動かす力にはならなかった。世論が熟していなかったことも背景にはあるのだろう。

 ただ、今でも言いたいことはもちろん、言わなければならないこともたくさんあるはず。威光に追随するだけでは、再び敗戦の苦汁をなめることになりかねない。「戦後」が始まった日に、あらためて思う。

(2012年8月16日朝刊掲載)

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