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社説・コラム

『潮流』 吹き抜けた風

■呉支社編集部長 林仁志

 湾岸戦争後の機雷除去に向かう掃海部隊を指揮する弟は、出港の時を待っていた。海上自衛隊呉基地、掃海母艦の司令官室で。

 兄が姿を見せた。弟は上官に「有名な反戦教師です」と冗談交じりに紹介する。500人余の隊員の無事を念じ、兄は弟に「一人も殺さず帰ってこい」。

 終戦の日が過ぎ、9月の足音が聞こえてくると、この場面が目に浮かぶ。

 兄は平和教育を実践し、広島県立高校の校長も務めた故大田英雄氏。弟は海上自衛官の道を歩み、呉地方総監部幕僚長や第1術科学校長を歴任した落合畯(たおさ)氏である。

 沖縄戦で自決した海軍司令官、大田実中将の長男と三男として知られる。弟が落合姓なのは幼時に親戚の家に養子入りしたからだ。

 「国際貢献」を果たそうと、訓練などを除いて自衛隊が初めて海外に赴いた1991年4月。国連平和維持活動(PKO)協力法もなく、国内世論が割れる中でペルシャ湾派遣だった。

 司令官室でのやりとりは、その後に落合氏から聞いた。翌92年の今頃だった。暑いさなかに、爽やかな風が吹いたような気がしたのを覚えている。

 よって立つところが違えば反目はよくある。若き日の2人も再三ぶつかり合ったという。やがて兄弟は気付く。平和な世界を目指す点は同じ、たどる方法が別々なだけだと。

 国や人のためによかれと信じ、誠実に力を尽くす。加えて他者に共感する柔らかな心があれば、立ち位置が異なっても理解し合えるということだろう。

 とはいえ、現実はたやすくない。最近のエネルギー論議、消費税増税論議もそう。方向性は同じでも、互いにせめぎ合う。対岸の相手を全否定するかのような激しい言葉も飛び交う。

 あれから20年。この夏もことのほか暑い。風がそよぐのはいつだろう。

(2012年8月21日朝刊掲載)

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