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社説・コラム

『記者縦横』 肌身で知る戦争の重み

■岡山支局 永山啓一

 蒸し暑い日だったが一歩中へ入ると、ひんやりとした空気に肌寒ささえ感じた。倉敷市の水島コンビナート近くにある標高わずか78メートルの亀島山。太平洋戦争末期にその山を側面から掘って築かれた地下工場跡を取材した。

 亀島山地下工場跡には計33本、総延長2キロのトンネルが網の目のように張り巡らされている。攻撃機の製造工場として1945年4月ごろから順次操業が始まった。朝鮮人労働者を動員して終戦まで掘削工事も並行して進んだという。

 内部を懐中電灯の明かりだけを頼りに進むと、ほとんど岩盤がむき出しのまま。天井には刺さったままの掘削機の先端や火薬を仕掛ける穴も残る。工作機械の土台や土砂を運び出すトロッコの軌道跡もある。

 その場に立つだけで、大規模な地下工場を短期間で造らなければならなかった戦争末期の緊迫感が伝わってくるようだった。

 いまこの地下工場跡の保存、公開を求める市民運動が広がっている。ただ、地元倉敷市は崩落の危険や財政難を理由に消極的だ。

 市は入り口に鍵付きの金網を設ける一方で昨年度、内部を撮影したDVDを作成した。中に入らずとも映像で学習してもらえれば、事足りるとの判断だ。

 果たしてそうだろうか。映像を見るのと五感で感じるのでは大きく違う。肌でも感じることのできる戦争遺跡は貴重な存在だ。戦争体験を語ることができる人が急速に減っている。本気で保存、公開の道を考える必要がある。

(2012年8月27日朝刊掲載)

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