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社説・コラム

『論』 金曜デモ 言われなくても立つ

■論説委員 石丸賢

 毎週金曜の夜、脱原発を訴える行動が東京・永田町で繰り返されている。はたしてデモで社会は変わるのか。

 その輪に加わってきた哲学者柄谷行人さんは、雑誌「世界」9月号への寄稿で「変わる」と確信を込めた。日本が「人がデモをする社会へと変わるからだ」と。

 何やら禅問答めいてはいるが、デモに参加する行動そのものに大きな意味合いがあるのだという。

 一体どんなものなのだろう。東日本大震災から1年半を前にした先週の金曜、上京ついでに首相官邸前や国会周辺をぶらついてみた。

 デモといっても許可申請の要る車道には出ず、もっぱら歩道がその舞台のようだ。

 白髪交じりの男性が脇の石垣に腰掛け、ラジカセのそばでうちわをあおいでいる。流れる曲は、3年前に他界したロック歌手忌野清志郎さんのメドレー。♪放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ…。反原発ソングも聞こえる。

 時代劇でおなじみの御用ちょうちんを持ち歩く人がいる。今風に発光ダイオード(LED)が明滅し、換気扇のような原子力マークと「御用」の文字が夕闇に浮かぶ。

 かいわいを黙々と、ぐるぐる回り続ける自転車の一団も。毎週通い詰めているという年配女性は「デモ行進のつもりなのか、あちらも常連さんなのよ」と目を細める。

 地元紙の東京新聞は毎週のように紙面を割き、デモの様子を伝える。ところが全国メディアの多くは音無しの構えだ。代わり映えしなくなった景色は新味が薄い、と映るのかもしれない。

 この一見ゆるい、「デモの日常化」にこそ社会の変化を見るかどうか。この辺りが、デモの評価が分かれる境目といえそうだ。

 「日本は、一般の人がデモをしない社会になっていた」。柄谷さんがそう思い知ったのが2003年のイラク戦争の時だそうだ。

 当時、都内でイラク反戦デモを取材した東京新聞「こちら特報部」の田原牧デスクが、符合する逸話を講演録で明かしている。車道を行進するデモ隊を若い女性らが指さし、「ああいう法律違反はいけないよね」と、うなずき合っていたというのだ。

 言うまでもなく、デモは憲法第21条で保障されている国民の権利、つまり表現の自由にほかならない。

 デモの光景が路上から遠ざかるにつれ、主権者たる当たり前の感覚がすり減っていく。非日常イコール違法、と刷り込まれていたのだろう。

 そうした空気に風穴を開けたのが金曜デモといえる。松江、広島両市など全国数十カ所にも飛び火している。

 国会周辺では、旗やのぼりが林立しない。隊列を組むわけでもない。党派や労組によるデモとは随分勝手が違う。手書きのプラカードを胸や頭上に掲げたり太鼓を鳴らして踊ったり、思い思いの「一人デモ」が目に付いた。

 阪神大震災の時に地元神戸で非政府組織をまとめた岡山市出身の市民運動家、草地賢一さんの遺訓を思い出す。「言われなくてもやる。言われてもしない」。その独り立ちの精神がボランティアの神髄という教えだった。

 この夜、国会前では東京電力の関連企業に勤める男性技師がマイクを握った。「原発についてしゃべるな」と無理強いする職場に、もう黙っていられないと脱原発宣言に踏み切った。

 社会は変わるかと問うとき、ともすると「変わるべきは自分以外の他人」と考えがちになる。変わるべきは、まず自分から。金曜デモは、そんな気付きの場でもある。

(2012年9月13日朝刊掲載)

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